lucciora’s diary 蛍日記

共感する魂を求めて

散る桜 残る桜も・・

今年は桜の満開になる少し前に雨が続いて散ってしまった花もあるけれど、

今日は天気がよく花見にふさわしい感じだった。f:id:lucciora:20250405011536j:image

 

散る桜 残る桜も 散る桜 (良寛

 

願わくば 花の下にて春死なん

その如月の望月の頃 (西行

 

さまざまなこと思い出す桜かな(芭蕉

 

春が好きだ。春の夜はとくに、なにか心がざわざわしているような、わくわくしているような、そんな心地がしていた10代の頃を思い出して懐かしく感じる。

 

桜を詠んだ俳句や和歌のことばや音に含まれた、日本人の自然や風情に対する感覚のみずみずしさや豊かさ、鋭さにふと感じ入ってしまう。

 

桜や満月、春の夜の香り、自分ももう何十年も繰り返し見てきた桜と、その時々の心を思う。

センチメンタル。

 

象徴的な桜の光景が根底に広がっている、一方で同じ桜は2度と咲かないと感じている一回性の儚さが心で響いて触れ合っているみたいだ。

 

今日は富士山も真っ白で青空に映えて美しかった。

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大切な人たちのことを思い出す春の夜。

映画『怪物』を観た

是枝監督の『怪物』をAmazonプライムで鑑賞。

gaga.ne.jp

10代前半の若い役者さんである黒川想矢と柊木陽太の存在感がとにかく素晴らしかった。あっというまに通り過ぎてしまう10代の思春期のころの、言葉にする前に消えてしまうような感情や一瞬の表情が見事にとらえられていると思った。

あの時期の思いや感じたことは、うまく言葉にできないまま、記憶からもすり抜けてしまうけれど、ふとした香りや光の反射などで今でも蘇ってくるような時間が、映画の中で流れていた。

お話自体には、ところどころ痛みを感じるような、

しかし、最後は成長していく強さや輝きや優しさを感じる映画であった。

 

もともと、是枝監督の「怪物」についてのインタビューを読んでいて、「怪物での役を演じるにあたって、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を黒川君に読んでもらった」というようなことが書いてあったのを読んで、どんな映画なんだろうと興味をもって観たこともあって、

観たあとに「あぁ、たしかに、宮沢賢治の本の中のジョバンニとカンパネルラや、星や鉱石や透き通った水や、そんなみずみずしさや、思春期の悲しさのひりひりする感じ、同時に忘れられないような耀きがあるなあ」と思った。

映画自体は、現代のさまざまな社会的な問題をいくつもちりばめていて、色々と考えさせられるし、展開もスリリングで飽きさせない。

いじめの問題、シングルマザー、問題をもみ消そうとする学校や教師たち、虐待、などなど、ニュースでもよくみるような現代の問題が、映画の中で自然に展開する。「怪物」とは、果たして誰なんだろうか。

しかし、一見いじめ、に見える状況が、もっと全く違う、子供同士のストーリーだったり、背景を持っていることは、この映画のように起きているかもしれないし、それは本当にだれにもはっきりとはわからない部分がいつもどこかにあるような気がした。

個人的には、この映画の面白いところは、芥川龍之介の小説であり映画にもなった『羅生門』のように、起きていることの「解釈」というか「見方」は一つではなく、語り手や視点によって異なることを描いていることだと感じた。この映画では、それらのばらばらの視点が、最後にはある部分ではつながったり補い合って、一つの風景を浮かび上がらせているところが凄いなと思った。

たまたま今勉強している「ナラティブ・セラピー」の考え方と重なる部分があるように思ったし、実際に人の人生は、自分の人生の物語をどのように自分自身が解釈するかによって、その風景は変わってくるのだと思う。

(そして、そう思ったのは果たして的外れなのかどうか、ネットで検索してみたところ、「羅生門」構造の映画、との記事があり、今ちょっと安心した。)

forbesjapan.com

 

映画音楽は坂本龍一さん。これが最後の映画音楽となったそうだ。

時間はどんどん流れていく。

年々歳々、人同じからず。

ポケットの中のたいせつなものを感じながら、

鼻歌をうたいながら、たくさん寄り道をしたいとおもった。

 

 

 

映画『大きな家』・・・嬉しいことが、少しずつ、少しずつでも 彼らに起こって欲しいと願う

映画「大きな家」を観た。

児童養護施設の日常。子供たちの成長。

 

家の近くに児童養護施設があって、通りかかる時に、中で遊んでいる子供たちの様子が垣間見える。

元気そうに、大きな声を出してボール遊びをしていたり、楽しそうに喋っていたり、時にはそこでバザーが開かれたりしている。

 

家族と一緒に住めないということについて、ふと思いを巡らすけれど、一概に親と暮らすことがベストとも言えないとも思う。

もし、親が子供を育てられないと思うなら、そして、追い詰められた親の状況が子どもを傷つける害のほうが大きいなら、むしろ別々に暮らした方が良いのかもしれない。

 

この映画に出てくる施設は、設備が整っているし、スタッフの人たちも、それぞれ精いっぱい子供たちの世話をし、温かい眼差しで包もうとしているように感じる。

 

それでも、この映画を観ていると、多くの子ども達が「家族」というものや、「血がつながっている」ということについて抱いている『特別』な思いがそこかしこに感じられて、考えさせられる。

 

この映画では、子ども達が家族と暮らせない事情などについては一切触れていない。

bighome-cinema.com

 

(以下、映画の内容に触れています。言葉も記憶で書いているので、若干、間違えているかもしれません)

 

17歳くらいの少年だったか…インタビュアーに報告するように、

「あ、でも誕生日にお母さんと出かけるから、その日にプレゼントを買ってもらうんだよね」と何度か話していたのに、

誕生日の当日になって「お母さん、来ないんだって」と。そう、伝えるときの表情。

泣いたり怒ったりなんかしないから、気持ちがかえって心に伝わってくる。

外にひとりで出かけて行く姿。

きっとがっかりさせられたことは、一回きりでは無かったはず。

それでも、やっぱり待っているんだろう。

 

どこかに不安定さを抱えている様子の18歳の少女。そろそろ一人立ちしなければいけない時期になり、

自分の何かを変えたいと、ネパールの児童養護施設にボランティアとして参加する。

彼女は、ネパールの施設の同年齢の少女に興味をもち、彼女を対話へと誘う。

「淋しいとか、思わない?」と聞く日本の少女。彼女自身はどこかでずっと、寂しさを抱えて生きてきたのだろう・・。

 

ネパールの少女はこたえる。「淋しい・・?いいえ。ここには沢山子供たちがいて…家族みたいだもの」

日本の少女は少し驚いたように、そして、そうなんだ‥淋しくないんだ、と噛みしめるようにつぶやいていた。

 

その後、インタビューに答えて日本の彼女は言う。

「ここ(ネパールの施設)では、みんな目が合うとにこっとしてくれたり、いたるところでお互い助け合ってる姿が見える。

でも日本では、みんな下向いてスマホとかいじっていて・・・、自分はそういうところで育っちゃたからなー」

 

いまの日本は、多くの人にとって孤独やストレスを感じやすい場所になっているんじゃないだろうか。

安心感とか、人のあたたかさとか、やさしさとか、心の余裕とか、得られにくい感覚。

昔はあった「人情」みたいなものは、今では厄介払いされている。

その方が楽かもしれないけれど、だれもが孤独と隣り合わせだ。

 

先進国のなかで、若い世代の死因の一位は自殺なのは日本のみだ、という情報もある。未来や、大人になった自分、それらに希望や、ワクワクするような期待感が持てないのは、なぜなんだろう。

 

逆境にも関わらず、映画の中の彼らは、私にとっては同情の対象などでは決してなかった。

途中、数日間、登山を続ける姿もあったが、時に強風に逆らって、険しい山道を登っていくその姿のように、

彼らは強さや逞しさをもっている。

命が輝いている。

むしろそう感じた。

 

この映画を観て、人間の一生について、自分の人生について、ぼんやりと考えている。

 

自分は自分の人生を、どんな風に生きていきたいのか、

どうやって人と関わっていきたいのか…改めて考えてみることも大切なように思う。

歳を重ねて、若い頃とは価値観や人生観も変化している自分を実感した。

 

この映画を観ることで、何ができるか、ということは、一人一人が出来る範囲で、なにか考えられたらいいけれど

 

今まであまり知られていなかった彼らの日常について、

まずは、より多くの人たちが知るということは、この社会にとって重要なことだと思う。

そう思って、久しぶりのブログを書いてみた。

 

ほんのちょっとしたことでもいいな。

嬉しいことが、少しずつ、少しずつでも、彼らに起こって欲しいと願う。

 

自分や、自分の周囲の人たちも同じだ。

これを読んでくれている人たちも。

みんな、それぞれの人生を一生懸命生きているから、

ちょっとした良いことや、幸せが、お互いに、ちょっとずつ積み重なってみんなに起こって、

そしてみんなが少しでも笑顔になることが多いといいな、と思う。

 

 

『ミッション・ジョイ ~困難な時に幸せを見出す方法~』を観てきた。

下高井戸シネマで、『ミッション・ジョイ ~困難な時に幸せを見出す方法~』を観てきた。

unitedpeople.jp

 

~映画概要『ミッション・ジョイ ~困難な時に幸せを見出す方法~』
困難に直面した時、私たちはどのように幸せを見出すことができるのか?

本作はチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と、南アフリカアパルトヘイト撤廃運動の指導者の一人、デズモンド・ツツ大主教という2人のノーベル平和賞受賞者が、宗教の違いを超えてその答えを導き出す深い知恵と喜びに満ちた世紀の対談を元にしたドキュメンタリーである。深い友情で結ばれた2人は、ユーモアを交えながら、幸せや死生観などについて壮大な問いに迫り、私たちにどんな状況でも喜びと共に生きる知恵を授けてくれる。~

 

感想としてはとっても良かった。時々泣けた。

動乱の中を生き抜いてきた老賢人2人の、子供同士のようなやりとりの中に、

時折見せる一種の凄みと、磨かれた玉石が柔らかい光を反射しているような

豊かさを感じて。

「人々が"自由になる"と決めたら

彼らを止められるものは何も無いのだ」

デズモンド・ツツ

 

人を助けようとすることの中にこそ、喜びがある、とこの2人が言うとき、

それは本当のことだと強く感じる。

 

どれだけ多くの人々が、彼らの「存在」そのものを心の支えにして、

生き抜いてきたのか、

そして志半ばで命を落としたのか。

自分につながっている、その命の重さを背負ってなお、

彼らは命の喜びに触れている。

解決されきってはいない祖国や人種の問題を抱えながらも、

自分の内側にある喜びを、人に伝えようとしている。

 

人間は根本的には善なのだ、どんな人も。

その言葉が、心にしずかに響いた。

 

 

ユング「魂の現実性(リアリティ)」河合俊雄(著) 備忘録2

顕在意識は意識全体の3~10%、

潜在意識は90~97%という話がある。

意識は氷山の一角…

 

子供のころからよく夢を見た。

自分の生きている現在の生活からは程遠い内容の夢もよく見た。

 

忍者になることもあったし、どこか古代のギリシャ神殿のような場所にいたり、何度か戦争で兵士として死に直面している夢をみた。

ヨーロッパの町で恋愛をしていたり、海の中で黄色い熱帯魚を見ていたり、UFOに遭遇したりと…

潜在意識は自由で話の展開にも際限がない。 

 

夢の影響もあるのか、

心の最奥のほうには時間も空間も超えたところにつながっている「魂」の場所があるような気がいつもしている。

日常の意識からはかけはなれた、意識の根の場所。

とてつもなく広大で遥かな記憶を持っている大きな存在。

 

普段、自分で認識できるいわゆる顕在意識は「氷山の一角」、ということはよく言われることだが、

表層的な意識だけでなく自分の奥の奥底に眠っている、その巨大な氷山がどこまでもどこまでも続いていることを時には思い出したら、人生観が少し変わるような気がする。

 

まだまだ、自分でも気が付いていない自分がいるのかもしれない。

環境や思い込みで蓋をしてきたけれど、その「扉が開く」のを待っている自分の可能態みたいなもの。

 

『魂の現実性(リアリティ)』は、そんな自分の潜在意識の奥底からじわじわと滲み出てくるような気がする。

その声に、なるべく耳を傾けて生きて行きたいと思っている。

 

 

ユング「魂の現実性(リアリティ)」河合俊雄(著)より引用

p42 ファンタジー
第一章ですでに現実性について述べたが、ここではユングの現実性(リアリティ)についての考えがよく出ている。
つまり神経症をはじめとする心的な出来事は、何か外的な出来事の結果として引き起こされたり、
あるいはそれに随伴して起こる二次的なものではなくて、それこそが第一の現実なのである。
むしろ逆に外的な出来事のほうが「それにそそのかされ」「筋書きに利用されている」副次的なことなのである。

時間的にみると二次的で結果として生じているように見えるファンタジー
心的な出来事こそが第一の現実なのである。

後にユングesse in anima(魂の中の存在)ということを提唱し、
「魂は日々現実性を作り出す。この活動はファンタジーという表現でしか名づけることができない」(心理学的タイプ論)と述べているが、ユングからすると、心的現実こそが第一の現実なのである。

 

p241 死後の世界
「死は心的に誕生と同じくらい重要で、誕生と同様に人生を統合する構成要素である。」(『黄金の華の秘密』への註解」)とユングは述べている。
人生の後半を重視する心理学を提唱したユングにとって、死は常に中心的なテーマであったといえる。
中略
自伝をひもといて見ても、死についての非常に興味深い記述が多い。
「死後の生命」という章がわざわざ設けられているくらいである。
そこでユングが述べているのによると、来世とか死後の世界とかは
ユングがその中に生きたイメージやユングの心を打った考えの記録から成り立っていて、それはある意味ではユングの著作の底流を為しているのである。

ユングにとっては、死や死後の世界というのは真に実感を伴ったものであって、現実性を持ったものであった。
「死後の世界」の章でもユングはmythologein, つまり物語を語ること以上のことはできないと述べている。
これは神の問題にしろ、存在の問題にしろ常にそれの心理学的イメージしか対象にせず、それを「物語る」という形で拡充していくというユングのスタイルである。
従って死についての記述も物語やイメージから成り立っているのである。

 

・・・・・・・・・・・

(感想)

esse in  anima.... 魂の中の存在。

語ることのできないものについては、イメージを紡いで「物語る」ことしかできない。

たとえば1枚の絵について完全に語ることはできない。それについて私たちが感じたことを、物語ろうとすることしかできない。

ロゴスの言葉で言えないこと。そうした、語ることのできないものごとについて、思いを巡らせることは愉しい。

 

 

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ユング「魂の現実性(リアリティ)」河合俊雄(著) 備忘録1

人はみんな自分の物語を探しているのではないだろうか

 

自分の物語、というものにずっと興味があった。
自分の物語とは、すなわち自分の人生に対する自分自身の主体的な「解釈」だと思う。

 

「事実」は一つであっても、その「解釈」は無限にある。
そして「自分にとっての真実」こそが物語の中核をなすものなのではないだろうか。

 

昨年、近くのデイサービスで傾聴のボランティアをさせてもらっていた。

多くの方たちは、戦争を生き抜いた方たちで、激動の時代を生きて、長い人生の中で価値観がめまぐるしく変わっていった、そんな時代を生きた方たちばかり。

 

彼女たち(女性がほとんどだったので)の物語を聴くことは心から楽しく、
90年近い人生の中で何を思い、何を大切にし、どんな風に悲しんだり苦しんだりしながら今こうしてここにいるのか、という話に耳を傾けることが、自分にとって非常に豊かな時間だったし、

激動の時代のエピソードの数々に感動することも多かった。

目の前にいる高齢の女性の、子供時代から、少女時代、青春時代、戦後の混乱、

家族の死、子供、孫たち…

その時々の面影や姿が思い浮かんでは、また滲んで消えていった。

 

肉体的な衰えがあったり、耳が遠かったりと、弱々しくも感じられる彼女たちだけれど、1時間弱お話を聴いた後に私が毎回のように感じていたのは、ここまで生きぬいてきた彼女たちの「魂」の強さや輝き、そして威厳だった。

 

以下、私の大好きな心理学者の河合隼雄さんの息子である河合俊雄さんの本 「ユング 魂の現実性(リアリティ)」を、ずいぶん前に読んでメモしたまま、ずっと下書きになっていたのを思い出し。  

今、物語ることについてまた考え始めているので、備忘録としてあげておきたい。

 

備忘録「ユング 魂の現実性(リアリティ)」 河合俊雄(著)より引用

p6
ユングは自分の一生を自己実現の物語として捉えている。
しかし自己実現はよくそう思われているように、
何か未熟で未分化なものが成長や発展していって
完成したより高次のものになるのではない。

自己実現とは、文字通り自分自身になることであり、
何か違ったものになるのではなくて、
はじめからそうであるものになることなのである。

 

p112 自分がその中に生きている神話
フロイトと決別してからユングは方向喪失の状態になり、
ついには精神的危機に陥る。(中略)

このころ、ユングが自問自答していることが興味深い。
自分は過去に人々の神話を解明し、
人類が常にその中に生きていた神話としての英雄について本を書いた。

しかし、今日、人はどのような神話を生きているのか。
ユングは自分がキリスト教神話の中に生きているのかと自問してみる。
聖餐式での経験からしても、これは否である。
ユングは自問自答する。
「ではわれわれはもはや何らの神話を持たないのであろうか。」
「そうだ、明らかに我々は何らの神話ももっていない。」
「ではお前の神話は何かーーお前がその中に生きている神話は何なのか」

中略


神話とは自分が持っているものではなくて、それにいわば包まれているもので、
誰もがその現実性の中で暮らしているはずのものなのである。
過去においてはそれは神話が共同体によって担われているところに端的にあらわれていた。
そのような神話ははたして現代において可能なのだろうか。

 

 

(感想…)
小学生の時、偶然手にした星占いの本から、
星座のもととなったギリシャ神話の神々の名前や、
星座となるに至った物語を読むのが大好きだった。

神にさらわれた美少年ガニュメデスの物語。
地上と冥界を行き来するデーメーテルの物語。

花にも神話や伝説があることを知り、夢中になって読んだものだった。
自分しか愛さなかったナルチッソスが、神の罰として、
泉の水面に移る自分自身から離れられなくなり水仙の花になってしまう話。
飽きずに読んでいた記憶がある。

日本のいざなみといざなぎの神話と、アモールとプシュケの相似性を見つけて
喜んでみたり、東洋と西洋の神話のモチーフの中に通じるものと異なるものを見つけるのも
好きだった。

今でもギリシャ神話や日本神話が好きだ。
神話で語られるのは、根源的な欲動であったり、愛憎、別れ、戦いなどなど、
人の心のなかにあるものは、何千年という時を経てもそんなに変わっていないような気がする。

神話を分かち合う共同体は、インターネットやSNSの普及によって、
国や文化といった現実的な場所に依存した共同体ではなく、
やがては個人同士の魂の?または心の?共同体みたいなものになっていく/きているような気もする。

 

・・・物語ること。
自分の生について、自分なりに物語ること。
「意味」を問うのではなく、物語ること。
というのも、自分を物語ることは「他の誰」もしないし、できないのだから。
自分を生きるのは自分だけだから・・・。



 

ドラマ『ブラッシュアップライフ』…死のほうから生を見てみたら

「いま、ぼくのやっている仕事というのは、死の方から生を見る仕事だと言った方がいいですね。みんな、自分の生を延長するほうからばっかり言っとられるけど、ぽっと向こう側から見られたら、かなり変わるわけです。」

河合隼雄ブッダの夢」より)

 

ドラマ『ブラッシュアップライフ』が面白い。

テレビが無いのでTverで見ています。安藤サクラさん演じる主人公は、不慮の交通事故で亡くなってしまうものの、もう一度同じ人間に生まれ変わって “人生2周め”(そして”3周め”も…) をやり直す…。というお話し。

(以下、ネタバレあります)

第1話の中盤までは、平穏すぎる日常のドラマという感じでちょっと退屈してしまうのだが、麻美が事故で亡くなってしまってからの”やり直しの人生”の展開で、1周目の平穏すぎる日常が生きてきて、1周目では気づかなかった些細なトピックがどんどん展開していくのでかえって「あー、そこか」とインパクトを受けつつ見ている。

麻美がとにかくドライというか冷静で、死んでしまっても、「あ、死んだ?」くらいなリアクションなので、生きる・死ぬをあつかう内容のドラマでありながら、重たく深刻にはなりすぎない。人生にまつわる沢山のテーマがシンプルに浮き彫りになってきて秀逸だ。

 

ドラマでは、主人公は一旦亡くなって、来世の案内人に「この次はアリクイ(または前世のやり直し)」と告げられて、前の人生のやり直しをすることになるのだけど、麻美が人生をやり直すたびに(今、3周目)、ちょっとずつ、でも次第に大きく変化していって、麻美の人生やパーソナリティ自体が”ブラッシュアップ”されて、生き生きとしていく様子はなんだかすごい。爽快感がある。

 

1回目の人生では役所の案内係をしていて、いつも役所に来た人からのクレームに辟易して、ランチタイムは同僚たちと愚痴大会だった麻美が、

2回目の人生では薬剤師になって祖父を救い、友達に重要な情報を伝えたり、

3回目の人生では好きだったドラマに関わるテレビ局に入社し、憧れの俳優さんと大胆な会話までしたり…してしまう。ボタンの掛け違い、ならぬ、ボタンのかけなおし。

 

一方で、ドラマを見た後もなんとなく心に残る場面もあって…

1回目に死ぬ前に仲良し3人組とカラオケルームに行った時に、受付でミュージシャンを目指していた高校時代の友人「ふくちゃん」と再会する場面がある。

1回目の人生で麻美や3人組が持っていた(人生で何が大事なのかという)価値観があって、

2回目の人生では、ふくちゃんの人生を彼女の考える「より良い方に」変えようと、しばし計画するものの、いやいや、もしかしたら自分の価値観も正しいとかではなくて、彼の人生の「失敗」と見えることや、別れや出会いも、やはりそれで「正解」なのかもと考え直して、結局は何も言わなかったシーンがあってとても共感してしまった。

何が幸せとか、何が良いかということの基準なんて、決まっていないという自由が心地よかった。

仲良し3人組という設定がまた、私自身も中学時代の友達と3人組で今でも仲良くしているので、ドラマの会話がリアルかつ「あるある」で笑ってしまう。そういうある種どうでもいい会話の中にこそ、彼女たちそれぞれのパーソナリティがよく出ていて憎めないのである。

 

…死のほうから生を見てみたら

「ぽっと向こう側から見られたら、かなり変わる」

初めに引用した心理学者の河合隼雄さんの言葉。河合さんの本が好きで何冊か読んでいるが、「死の方から生を見る」というのは河合さんの一つの視点だったように思う。

 

生の渦中にあると目の前のことしか見えなくなってしまう。

死の方から生を見る、という提案は、生きている証でもある「感情や欲望の波」から、自分自身の意識を遠くへ置いてみることで、生全体の姿を見ることを可能にするのではないだろうか。私も折に触れて、自分が死んだとしたらどうなのだろうと想定して、そちら側から生を覗いてみる視点を持ちたいと思っている。

 

このドラマを見たとき、ちょっとそれに似ていると思った。一見、突拍子もない設定で十分にエンターテイメント的要素もありながら、回を重ねるごとにじわじわとストーリを噛みしめているような。

死とか魂とか死後のことについて、日頃あえて話したりはしないけれど、こんな軽い語り口でなら語ってみたいかもしれない。

 

このドラマでは、死んで再生するたびに主人公の人生がブラッシュアップされていくけれど、この先どうなっていくのか…楽しみだ。

最終的にはこれが全部夢だった、という設定だったりして? それは無いか。

 

人生のやり直しでなくても、今の人生でも気づけることはまだまだ沢山あって、人生はそこからどんどん変わってくるのかも、そんなことを感じさせてくれるちょっと楽しみな時間になっている。

 

「いまを生きる」


20歳過ぎのころ「いまを生きる」という映画を観ました。かれこれ30年くらい前になってしまいます。
https://filmarks.com/movies/14908

映画との出会い、という点で、今でもこの映画は私にとってベストの一つだと思います。

もう何年も観ていませんし、その後沢山の映画が出てきたし、もっと洗練されてたり、新しかったりする映画は出てきているでしょうが、

変わらずにマイ・ベストなのは、この映画の中に、私にとっての大きなテーマがあるからなのだと気が付きました。

それは、人は、人との魂の深い部分での出逢いなくしては、本当の意味では生きられないのではないか、という私なりの人生の実感だと思います。

映画の中でロビン・ウィリアムズが型破りな教師役を演じていて・・あったかくて、生徒をだれよりも理解してくれて、沢山の方法を見せて導いてくれる。これこそが本当の先生だよね、と思う。心から尊敬できる、自分より人生を知っている人=先生。

現実では、一生のうちに、心から先生と呼べる人にそうそう出会えないものだと思います。
でも不思議と、心の中には「先生」の原型とでも言うべき、ある理想像があって、私にとってはそれが、この映画でロビン・ウィリアムズ演じるキーティング先生その人でした。

それは、生徒の一人ひとりの中にある最も彼らしいもの、自身すら気づいていない原石の輝きを見出して、様々な方法で語りかけ、刺激し、育てるということ。

自分を信じるということを、教えてくれる。一緒に苦しみながら、考えてくれる。

それを大いなる愛を持って、している人。

そんな先生に、あるいはそんな大人に、出会いたいんだと思います。子供たち、若者たち、そして大人になっても、みんな出会いたいんだと思います。

心から信頼できる大人と出逢えたとき、痛みの中にいる「私」が、「自立」を目指そうと思えるんだということ。

この映画の中で、親との関係も大きなテーマになっています。

自分の信じていること、自分が大切に思うことを声に出すっていうのは怖いことで・・
動いていくのはもっと怖いです。自分の中に、それが本当にあるのか、ないのか、急に見えなくなることもあるから。

それを見つけて、必死に訴えても、ありのままの自分を受け入れてもらえなかった、その無念さ。悔しさ、絶望感。それは今でも、どこかに静かに残っているのかもしれない。 

映画にもありますが、親にわかってもらえない、というのは悲しいことなんですよね。遠い昔から永遠にあるテーマですね。大きな苦痛ですよね。

若くて不安定な要素があるときは、親の支配(価値観)から逃れられない、と思ってしまうのは極々自然で、だから映画では悲しいことになってしまいました。植え付けられた概念から自由になることは至難のわざなんですよね。
だから詩を読むんでしょうね・・。表現するんでしょうね・・。

自分の人生をどう生きたいのか?
いつも思うようにいくわけではなくて、
現実の様々な問題もありながら、それでも自分でなんとかやっていくのは、すごい勇気とエネルギーがいることなんです。

だから何より自分を大切にしてほしいです。なぜなら「あなた」という個性は、あなたしか持っていないのですから。
その原石を磨いていくのは、あなたしかできないのですから。

この映画の中で、カルペ・ディエム(1日(の花)を詰め)という言葉が出てきます。人はいつも死に向かっている。だからこそ、その日を精いっぱい生きる。それは、私の中で「メメント・モリ」(死を忘れるな)という言葉と重なって、だからこそ、いまを生きろ、という強い言葉を、私もかれらと一緒に受け取ったのかもしれない。

つらくても、死を思っていても、真剣に自分に向かっているのなら、深い今を「生きている」と思います。逆に、死を思うからこそ、「より深く」今を生きている、のかもしれません。

あとで振り返ったとき、これらの日々は絶対に無意味ではなく、自分がこの世界に関わろうとして、もがいたりひっかいたりした痕、
あるいは種が芽を出すための土の中での格闘みたいに、この宇宙に痕跡を残している時間だと思います。

それこそ、愛すべきただひとつの姿、その自分を愛してほしいと、私は思います。
なぜなら、本当に素晴らしいものをもっているからです。

いつか、誰かにそれを渡す日が来ると思います。
沢山の人かもしれないし、一人かもしれない。でも、きっと来ると私は信じています。

イタリアが好きな100の理由  ◆アッシジのフランチェスコ◆

 

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聖フランチェスコの歌

 

主よ、

わたしをあなたの平和の道具としてお使いください

憎しみのあるところに愛を

争いのあるところに許しを

分裂のあるところに一致を

 疑いのあるこころに信仰を

 誤りのあるところに真理を

 絶望のあるところに希望を

 闇に光を

 悲しみのあるところに喜びを

 もたらすものとしてください


慰められるよりは慰めることを

 理解されるよりは理解することを

 愛されるよりは愛することを

 わたしが求めますように

 わたしたちは与えられるから受け

 ゆるすからゆるされ

 自分を捨てて死に

 永遠の命をいただくのですから 

聖フランシスコの祈り」

 

☆☆☆

この美しい祈りは、「聖フランチェスコの歌」と呼ばれています。

フランチェスコが書いたものではない、という説もあります。

いずれにしても、こうした清らかな愛に満ちた祈りを捧げる聖人のイメージとして、

聖フランチェスコは多くの人に慕われ、このメッセージを目にするとき、このように澄んだ心を持てたらなあと、感じずにはいられません。

 

アッシジの聖フランチェスコの棺のある部屋には、キャンドルが灯され、訪れた沢山の人達(観光客も沢山)が、思い思いの時を過ごしていました。

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気が付いたら、1年以上もブログを書けていなかったのですが、また書けるときに書きたいと思います。よろしくお願いします。

◆イタリアン・バロック①「イゾラ・ベッラ」◆ イタリアが好きな100の理由 

 

イタリアが好きな100の理由、ちょっと書けないでいたら、コロナの状況が幾分和らいできて、イタリアでも街に人が戻りつつあるようで良かった。

今日は、イゾラ・ベッラという島のことを少し。

 

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イタリア、ストレーザ、マッジョーレ湖のイゾラ・ベッラ

 

私の中でヴェネツイアとともに「やっぱりイタリアは特別だろう!」と思ってしまう場所が「イゾラ・ベッラ」という島。

 

 

高校時代だったか、友人からすすめられて澁澤龍彦著『ヨーロッパの乳房』を読んだ。

ヨーロッパのバロック的なる場所を旅して書かれた数々の断章から成る本の中に、「イゾラ・ベッラ(isola bella:美しい島)」という、北イタリアとスイスの間のマッジョーレ湖にある小さな島についての章があった。それを読んで、いつか絶対行きたいと思った。本の中の白黒写真で見たその部屋の風景の中に、いつか自分も立ちたいと思った。

そして大学時代、ローマの語学学校に短期留学した時に、その旅の中で訪れたのだった。

 

もともと海や湖が好きなので島も勿論大好きなのだが、この島はバロックの島…

庭園には白いクジャクが放たれ、世界中から集めたエキゾチックな植物が島のあちこちに植えられていて、地下の洞窟部屋や何世紀も前の本が並ぶ図書館もある、まさに幻想の島なのである。

 

期待と不安?とともに洞窟の部屋にたどり着き、目にした空間は「こ、これはなんなんだ?」と、思わず笑いがこみあげてくるような、「いくらなんでもやりすぎでしょ…」と思わずつぶやいてしまうくらい溢れんばかりの、過剰な、驚異の部屋だった!

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でもそこは、不思議な生命力にあふれていて、私にとっては気持ちの良い場所でいつまでも飽きることもなく眺めていた。

窓の外には湖の水面が夏のまばゆい光を反射して輝いていた。

 

この島をボロメオ家の当主が1630年に買い取り、庭園を作り上げるのに40年かかったという話。イタリアの貴族文化というか美へのこだわりというか、やっぱりスケールが違いすぎて思わず笑ってしまう。

このような日常から逸脱したひとつの島を、何百年も前に「実際に」作ってしまい、(多くの人間にとって、それはファンタジーでしかないと思うのだが、)それを今に至るまで維持している・・。そして今でも、夏になるとボロメオ家の人たちは利用していると、当時書かれていた。今もそうなのかわからないけれど、芸術的なものや美しいものに対する敬意や愛は見習いたいものだ…。

貝殻や螺旋、ガラス、大理石、そして庭園、中庭・・・。それらは私をいつも魅了する。自分をワクワクさせる「視覚的」「質的」要素について…今更ながら考えたりもする。

 

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以下、澁澤龍彦さんの『ヨーロッパの乳房』から少し引用してみよう。

  

“このボロメオ宮殿には、フランドルの壁織物のある長廊下、タブローのある部屋、音楽室、図書室、大階段、賞稗(メダイユ)のある部屋など、美術的にも見るべき部屋が多くあったが、なかでも私がいちばんおもしろいと思ったのは、六つの洞窟(グロッタ)風の部屋であった。

砕いた大理石の破片や砂利や金属で、モザイク風に周囲の壁や床を固め、貝殻の装飾を各所にあいらい、海の底の雰囲気を再現しようとしている。湖水の側の窓はアーケードのように大きく割りぬかれていて、涼しい風がそのまま入り込んでくるようにしてある。これらの部屋はおそらく宮殿の最も低い場所、水面すれすれの場所にいちしているのであろう、ひんやりとした底冷えの感じがする。たぶん、夏の暑さを避けるための部屋であろう。

この六つの洞窟風の部屋には、インドの彫像や支那の人形、地質学や古生物の標本、古い骨壺や盃や装身具や武具、それに馬具のコレクションなどがそろっていて、優に民族博物館に匹敵する豊富さであった。”

渋沢龍彦『ヨーロッパの乳房』より)

 

そして今回書きつつ、イタリアン・バロックが好きだったんだ、ということを思い出したので、次は他のイタリアン・バロック的なものについても書いてみようと思ったのでした。ではまた…。

 

イタリアが好きな100の理由  ◆文房具1◆

イタリアの好きなもの。今回は文房具編…。

 

もともと文房具は大好きだけれど、とくに紙モノが大好きで誘惑に負けてしまいがちです。

ノート類は表紙の美しいものや、紙質の変わったもの、サイズ感が絶妙なものを見つけると、つい欲しくなってしまう。イタリアの紙はそれぞれに個性的すぎるというか、紙一枚にも「世界」や主張がある(ように思える)。他のヨーロッパのデザインでも、ドイツなどは質実剛健な感じで余計な柄や模様が無い気がするし、フランスなどは綺麗めなデザイン。どれも良いけど、私はこのイタリアのルネッサンスバロックもあったよね… みたいなデザインが大好きなのです。

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上のノートはマーブル紙の表紙。

模様を見ているだけでなんだか贅沢な気持ちになれるのです。

職人さんが一枚一枚、インクを水に垂らして模様を描き手作りで作っているので、

同じ柄のものは無いという。この技法はもともとは日本の墨流の技術からインスパイアされて生まれたものらしい。

 

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 確かトスカーナ地方のLuccaという町だっただろうか。老舗っぽい感じの文房具屋さんだったか、紙製品の専門店ぽいところだったか、出会って一目ぼれした記憶。

でも何しろ20年ほど前なので、まだお店があるかどうかは…。中のページがオレンジ色なのがたまりません。

 

下はミラノの大好きな文具店PETTINAROLIで見つけた。お店が未だあるのだろうかと心配になりつつ見てみたら、ありました。場所が変わっていたけれど。

www.italiastraordinariatour.com

 

ワクワクしますよねーー。こんなお店。1881年創業です。何しろ紙の種類も、文房具の種類も豊富だし、洗練されていて、デザインも最高(好みがあるので私にとっては、ですが。)

下左はタロットカードの表紙のノート。中のページの紙はざらざらした色付きの紙で4色にわかれている。右側は手書きっぽいチェスのモチーフ?タロットカードのノートと同じ種類で中のページの紙がざらざらしている。タロットカードがここまで並んでる紙表紙って、私にとってはもう絶対買うしかないのだけど、これ好きな人ってマイナーなのかな、とかお店で考えてしまった。(その後、私なら花札で作りたいと思い、家でカラーコピーして作ったこともある。)サイズはB4とB5くらいのサイズ感。
 

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上の植物標本みたいな雰囲気のもの。同じくミラノのPETTINAROLIで。表紙もかわいいのだが、紙の裏側にもプリントがほどこしてあって、良い感じの厚みのある紙なのがなんとも言えない味わいがある。

 

下のペーパーウェイトはヴェニスのガラス工場を知りあいと見学をしたときに、このペーパーウェイトを見せてもらって「すごい!素敵!」と興奮していたら、おじさんが「試作品だけどあげるよ」とウィンク。え?本当に良いの?  

スカラベの形のペーパーウェイトは13センチくらいある。ずっしり重い。そして裏にはヒエログリフが刻まれているのです。

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下も同じく、ヴェニスだったと思うけれど、ガラスのペーパーウェイト。

じーっと見つめていると、自分の記憶ではなくて「ガラスの記憶」のほうに、意識が近づいて行ってしまうような…。この色合いがすてき。
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 ペーパーウェイトって実際ほとんど使わないのですけどもね。なんか綺麗で。(笑)

 

文房具店を見つけたら、日本でも大抵入ってしまうのだけれど、イタリアのちょっと田舎町の古そうな文具店で、ずっと昔の商品が売れ残っていたのをそのまま売ってる、みたいなものを当時はたまに見かけるのが楽しかった。レトロ、なんだけど日本とは違う色とデザイン。今はもうなくなっているのかな、あんなお店たちは。

あと、古いポストカードとかも大好きですね。写真がよくって。

今とはあきらかに違うデザインの流行や色合いなどからは、「その時代」を確かに感じられて、なんというか感慨深い気持ちになってしまう。自分がイタリアのその時代をよく知っているわけでもないのにおかしいですね。

色やデザインから勝手にその時代をイメージしてしまう…。文房具は愉し。

 

~コロナウィルスの海外での状況を見るにつけ、かつて留学したことのあるイタリア(今でも友人が何人かいる)の状況がかなり心配だったので、イタリアの好きなもの、こと・大切な思い出などを書いて、自分なりのエールを送ってみたくなりました。~

 



 

イタリアが好きな100の理由  ◆すべての道には名前がある◆

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写真はイタリアで買った絵葉書より。ローマのVia della Pace。

Via=通り、 Pace=平和、平穏のような意味なので平和通り…とか?

イタリアの道には、すべて名前がある。山の中の道などはわからないけれど、都市ではおそらくすべての道に。

 

大学在学中の夏休みにローマの語学学校に行った。どんな条件だったのかよく覚えていないのだけど、イタリア文化会館の語学留学のプログラムで、イタリア語を勉強したい大学生に、語学学校の代金は無料で交通費と滞在費は自分持ちで留学を斡旋してくれるというようなプログラムがあったので応募したところ、(応募者が意外と少なかったのか?)行けることになったと記憶している。…なにしろかれこれ30年前なので、曖昧ではある。

神殿の廃墟や遺跡が好きで、漠然とイタリアに憧れていた。

当時イタリア語はまったくの初心者で、イタリア語講座をテレビやラジオで聞いて、

簡単な自己紹介や「どこどこへ行きたいのですが」くらいしゃべれる状況での出発だった。

語学学校は1カ月コースと2週間コースがあったが、とりあえず2週間学校で語学を学んでそのあとはフィレンツェアッシジ、ヴェネツイア、ボローニャなどを1週間くらいだっただろうか、旅行をした。

 

語学学校はローマのスクールを選んだのだが、まず町中のすべての通りに名前があることに感動し、さらに通りの名前が大理石に刻んであることに驚き、石の文化すごいな、大理石の国なんだと感動したものだった。

通りの名前には歴史上の有名な人物の名前も多く、科学者、芸術家、哲学者、作家、などなど見飽きることが無い。

コペルニクスからボッカチオ、ダンテ、ゲーテ、ダ・ビンチ、ミケランジェロ、カラヴァッジョ、などなど・・・。そして名前の下には生年と没年が記してある。好きな芸術家の名前が続く区画などは自分の中でも何か良い場所のように感じたりした。

 

言葉や文字が好きということもあるのだろう。

名前の由来を知るのも好き。だから日本の地名でも、名前からその場所の歴史を考えたりするのは大好きなのだ。そんなわけですべての道に名前があるのはすごい面白いなあと思った。イタリアの道の名前の場合は、都市の自治体がつけているらしいので、とくに名前とその場所の組み合わせに意味があるわけではないケースがほとんどかもしれない。

にもかかわらず、Via Dante Alighieri(ダンテ・アリギエリ通り) という通りに老舗の本屋さんがあると、ぴったりだなとうれしくもなるし、ふと迷い込んだ場所で見上げた町の一隅の名前が Largo Jorge Louis Borges(ホルヘ・ルイス・ボルヘスの通り道)だった時などは、思わず苦笑いしつつ楽しめたり…

通りに名前があるので、地図さえあれば初めて行った町ですら、たとえ方向音痴であっても、ほぼ問題なく町中を歩けるのもすばらしい。

 

イタリアの町を織りなすすべての通りに名前があることは、何かイタリアらしい感じがする。国民の気質的なものかもしれないが、人間が生き生きしている感じ。沢山の人達の生きた道が、この町を作っていると感じさせるのだ。

それは、町並みからも感じる。たとえばローマなら、あらゆる時代の遺跡がある。古代ローマからビザンチン、中世からルネサンスバロックと…あらゆる時代を生きた人々の息遣いがまだ聞こえてくるような気がするときがある。

そして、それは名前のあるひとたちだけではない、無数の人たちのやり取りや人生が、この町を作ってきたのだと、ふとそんな気持ちを抱かせてくれる石畳の道なのだ。

 

 

イタリアが好きな100の理由  ◆ヴェネツィアン グラス◆

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イタリアの中でもヴェネツィアが好きです。

写真(手前)は20代のころイタリアに留学していた時に、私を訪ねてきた母とイタリア内を旅行して、ヴェネツイアで母が買ったもの。その母が亡くなり、今は私の手元にあります。

買った日のことは今でもよく覚えています。ヴェニスの町中を散々歩き回って沢山のヴェネツィアングラスのお店をのぞいた後、兄のお嫁さんへのお土産にと、このグラスを買った母。・・・しかし、ホテルに帰って「やっぱりどうしても自分の分にもこのグラスが欲しい!」ということになり、翌日もまた結構な道のりを歩いて同じお店に行ったのでした。(笑)

でも、このグラスとても綺麗で気に入っています。あの時母が買ってくれて良かった。なんとも言えない微妙なガラスの色彩、ガラスなのに何かぬくもりを感じさせるのは、職人さんが一つ一つ手作りしているからでしょうか。

真っ赤に溶けたガラスに息を吹き込んで膨らませて転がして。

ガラスはもともと大好きで、日本のものや古代ガラスも好きですが、ヴェネツィアングラスは一目見ただけで、人の気持ちをうわあ!と感動させる魅力があります。

 

ヴェニスはイタリア屈指の観光地でもあり、夏は観光客の多さや運河のにおいがひどいなど色々言われますが、私にとってあの町はやはり特別ユニークで美しい町。「ナポリを見て死ね」ということわざもありますが、「ベニスに死す」というヴィスコンティの映画もありました。あの町を見れて良かった。

 

ヴェネツィア派の絵画の色彩が美しいのは、光の中に水の要素が多く含まれていて、色が鮮やかに見えるからだと聞いたことがあります。

キラキラしている。そう感じるのです。

 

町の中を運河が流れていて水上バス(船)で移動。車は通れないので、歩きか自転車というのも良いです。地元の人は自家用船も。観光客はゴンドラに乗ったり。

 

私はベニスビエンナーレという美術の祭典の時にも何度か行ったのですが、夕暮れ時に水上バス(ヴァポレット)に乗った時に見える、ゴシック、バロック時代の建物が運河沿いに建っていて、ランプの灯りでライトアップされている様はまさしく幻想的で、何百年も前の街に紛れ込んだような気持になります。

そうですね。きっと古いものが大好きなんです。

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イタリアには4年くらい留学していましたが、その経験は結局、今の自分には現実的には役立ってはいません。けれど自分の人生の中で、そして心の中ではかなり大きな広がりを今でも持っています。

日本に戻ってきた時、知人に「全然イタリアナイズされてないね」と笑われた私。いわゆるイタリア人らしさのイメージ(mangiare,amore,cantare=食べて、愛して、歌って・・・)からはたしかにほど遠い人間なのですが、そんな私にとっても、イタリアは特別で愛すべき大切な国です。

 

帰国して早20年以上…今でもイタリアに何人か友人がいます。

コロナの被害がヨーロッパの中でもひどかったイタリアの情報を見ると、胸が痛みます。日本も状況も良くはないですが、ヨーロッパの医療崩壊の状況を見ると悲しくなります。

 

コロナウィルスの最も恐ろしいところは、悪化してもう命が助からない、となったときにすら、感染を避けるために、親しい人と隔離されて、人生最後の大切な時間を孤独に過ごさなくてはいけないことなのではないかと感じています。本当は大切な人たちに囲まれて過ごすべき大切な時間を。

そんなことをつらつらと考えているうちに、イタリアの好きなところを自分なりに綴ってみたくなりました。そうすることで自分なりのエールを送っているつもり。

そして、あらためてイタリアのどんなところが自分の心を捉えたのだろう…と考えてみたくなりました。人生も折り返し地点を過ぎたと思うので、自分自身のふりかえりにもなりそうだし。

100の理由、といっても100書くかはわかりませんが、たくさんあるなということで100に。「理由」というほどのことでもなく、イタリアの好きなものをあげてみようかと思っています。

1年以上、ブログを書けませんでしたが、またよろしくお願いします。

 

 

初夢見ましたか?

 

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あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

 

初夢、見ましたか?

わたしは、俳優の寺尾聡さんと「丘を越えゆこうよ♬(ピクニックという曲名なんですね)」をピアノで連弾してるみたいな夢を見ました。連弾と言っても、ひとつのピアノでではなくて、それぞれの楽器で演奏していたので、連弾ではないですね。協奏でしょうか。

夢の中で演奏がとてもいい感じで、一緒に沢山笑ってて楽しかったのですが、途中で気づいたら楽器は無くて、エア演奏だったのです。おかしいですね。

 

ここ2年ほどテレビが無いので、寺尾聡さんも見ていないのですが、

わたしのイメージの中ではちょっと古いですが「博士の愛した数式」のなかの博士のイメージが大きいですね。

小川洋子さんの小説の映画化で、原作も勿論すごく良いです。

記憶が数時間しか保てない博士と、シングルマザーの家政婦の女性とその息子。

みんなそれぞれの寂しさを抱えながら、出会って、やがて友情がうまれて。

不器用ながら、お互いをとても大切にしていて、優しいのです。

その互いに向けた繊細な思いやりが胸に刺さりました。

気持ちにとても触れる映画だったので、映画を観終わるころには泣きすぎて目も鼻も真っ赤でした。

 

もうずっと、自分らしさを封印してきたのですが、今年はもっと自分らしく・・・、をテーマにしたいです。

今年は、自分の心に触れるような、気持ちのやり取り、やさしい会話のやりとりをできたらよいなと思います。そんな風に関われる相手を大切にしたいです。

自分のほんとうに好きなもの、大切なことを忘れてはいけないですね。 

 

いばや通信さんの記事、引用します。そうだったなーと共感しました。

人間はなにででてきているか。私は『人間は、自分の好きなものでできてる』と言いたい。なにかを好きになるということ。好きなひとに好きだと伝えること。これ以上に尊いことなんてこの世の中にあるだろうか。間違っても、自分が嫌いだと思うものに自分の人生を奪われてしまってはいけない。嫌いなもののために死ぬ(生きる)なんてクソだ。それでは体は冷えたままだ。生きているということは、熱があるということだ。熱があるということは、その熱を誰かに伝えることができるということだ。なにかを好きになるということが、世界を動かす力になる。なにかを好きになるということが、世界の体温をあげるのだ。嫌いなものにとらわれて、自分の好きを見失ってはいけない。いま、生きているということは、自分の『好き』があったからだ。それがなければ、いまのいままで生きることなんてできなかったはずだ。だからこそ、自分の好きを取り戻そう。嫌いなもののために生きるのではなく、好きなもののために生きていこう。自分の好きを貫く物語が、また、別の誰かの『好き』を貫く物語を生み出していく。今こそ、好きに殉死をする時である。

人間はなにでできているか。 - いばや通信