lucciora’s diary 蛍日記

共感する魂を求めて

ユング「魂の現実性(リアリティ)」河合俊雄(著) 備忘録2

顕在意識は意識全体の3~10%、潜在意識は90~97%という話がある。

意識は氷山の一角…

 

子供のころからよく夢を見た。自分の生きている現在の生活からは程遠い内容だ。忍者になることもあったし、どこか古代のギリシャ神殿のような場所にいたり、何度か戦争で兵士として死に直面している夢をみた。ヨーロッパの町で恋愛をしていたり、海の中で黄色い熱帯魚を見ていたり、UFOに遭遇したりと… 潜在意識には際限がない。 

 

夢の影響もあるのか、心の最奥のほうには時間も空間も超えたところにつながっている「魂」の場所があるような気がしていた。日常の意識からはかけはなれた、意識の根底が。とてつもなく広大で遥かな記憶を持っている大きな存在。

 

普段、自分で認識できるいわゆる顕在意識は「氷山の一角」、ということはよく言われることだが、表層的な意識だけでなく自分の奥の奥底に眠っている、その巨大な氷山がどこまでもどこまでも続いていることを時には思い出したら、人生観が少し変わるような気がする。まだまだ、自分でも気が付いていない自分がいるのかもしれない。環境や思い込みで蓋をしてきたけれど、その扉が開くのを待っている自分の可能態みたいなもの。

魂の現実性(リアリティ)は、そんな自分の潜在意識の奥底からじわじわと滲み出てくるような気がする。その声になるべく耳を傾けて生きて行きたいと思っている。

 

 

ユング「魂の現実性(リアリティ)」河合俊雄(著)より引用

p42 ファンタジー
第一章ですでに現実性について述べたが、ここではユングの現実性(リアリティ)についての考えがよく出ている。
つまり神経症をはじめとする心的な出来事は、何か外的な出来事の結果として引き起こされたり、
あるいはそれに随伴して起こる二次的なものではなくて、それこそが第一の現実なのである。
むしろ逆に外的な出来事のほうが「それにそそのかされ」「筋書きに利用されている」副次的なことなのである。

時間的にみると二次的で結果として生じているように見えるファンタジー
心的な出来事こそが第一の現実なのである。

後にユングesse in anima(魂の中の存在)ということを提唱し、
「魂は日々現実性を作り出す。この活動はファンタジーという表現でしか名づけることができない」(心理学的タイプ論)と述べているが、ユングからすると、心的現実こそが第一の現実なのである。

 

p241 死後の世界
「死は心的に誕生と同じくらい重要で、誕生と同様に人生を統合する構成要素である。」(『黄金の華の秘密』への註解」)とユングは述べている。
人生の後半を重視する心理学を提唱したユングにとって、死は常に中心的なテーマであったといえる。
中略
自伝をひもといて見ても、死についての非常に興味深い記述が多い。
「死後の生命」という章がわざわざ設けられているくらいである。
そこでユングが述べているのによると、来世とか死後の世界とかは
ユングがその中に生きたイメージやユングの心を打った考えの記録から成り立っていて、それはある意味ではユングの著作の底流を為しているのである。

ユングにとっては、死や死後の世界というのは真に実感を伴ったものであって、現実性を持ったものであった。
「死後の世界」の章でもユングはmythologein, つまり物語を語ること以上のことはできないと述べている。
これは神の問題にしろ、存在の問題にしろ常にそれの心理学的イメージしか対象にせず、それを「物語る」という形で拡充していくというユングのスタイルである。
従って死についての記述も物語やイメージから成り立っているのである。

 

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(感想)

esse in  anima.... 魂の中の存在。

語ることのできないものについては、イメージを紡いで「物語る」ことしかできない。

たとえば1枚の絵について完全に語ることはできない。それについて私たちが感じたことを、物語ろうとすることしかできない。

ロゴスの言葉で言えないこと。そうした、語ることのできないものごとについて、思いを巡らせることは愉しい。

 

 

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