lucciora’s diary 蛍日記

共感する魂を求めて

手紙

手紙を書くのが好きです。 手紙をもらうのも、大好きです。最近あまり、もらわないから淋しいですけど…自分もあまり書いていないんだから仕方ないですね。電子メールだって、もらえば勿論うれしいけれど、 家の郵便受けに、ちょっと厚みのある封筒のざらっと…

流星ワゴン

流星ワゴン ーーやっとわかった。 信じることや夢見ることは、未来を持っているひとだけの特権だった。 信じていたものに裏切られたり、夢が破れたりすることすら、 未来を断ち切られたひとから見れば、それは間違いなく幸福なのだった。 ドラマにもなった重…

心に微かな風が…

あなたのブログを読んでいました。それで、 ーあ、この言葉はどこで聞いたんだっけ、と思ったんですよね。いつか、誰かが言ってくれたなぁと。 そして思い出しました。 「ほんの少しだけね、あなたの心のドアを開いておきましたよ。あまり大きく広げると、辛…

歴史と感情/集合無意識

シュタイナー教育を語る / 高橋巌より 「感情は時間の中で存在しており、空間の中では存在していないということです。過去と現在と未来は、大体感情で結びついていると言ってもいいくらいです。歴史というのは、一言でいうと、人類的規模での感情の集大成、…

メランコリアーそして、憂鬱の逆転

メランコリア。憂鬱。 今更ながら、シュタイナーの気質についての文章を読んでいて、以前から親しみのある一枚の版画を思い出す。 アルブレヒト・デューラーのメランコリア。 シュタイナーも、四体液説から、人間の気質について自論を展開していったようだが…

恋と信仰

良寛と貞心尼の歌のやりとりを美しいと思う。 恋なのか、信仰心なのか。 ただ、ひたすら、どこまでもついていきたいと思う「絶対」な存在。 親鸞の法然への信もまた。 なかなか出逢えるものでもないけれど、 人生の導師とは、そんな気持ちを喚起する存在なの…

うらをみせ おもてをみせて 散る紅葉

「外は良寛」/松岡正剛著より 備忘録的に、文章を書きうつしてきました最終回です。 ・・・・ ついに良寛の最晩年です。体もだんだん弱っている。しかし良寛は六十歳をこえて二人の女性と親交をむすびます。 貞心尼は小さなころからの文学少女です。詩歌ば…

秋の夜ーバッハのマタイ受難曲…

なんだか涼しい。昼間は暑かったのに、やはり秋だ。 今夜ふと思いだした。 バッハのマタイ受難曲の中の「主よ、この涙にかけて我を憐れみたまえ。」という曲を。 この曲がタルコフスキーの映画で流れたことを。 キリテ・カナワの声も良かったけど、映画のシ…

ひふみよいむな…一二三四五六七…

備忘録のように書き写してきた「外は良寛」松岡正剛さん。 「ひふみよいむな」はどのへんから出てきたのか、おもしろい話がいっぱいありました。もう少しで読み終わりそうです。 ーーーーー 良寛の書のなかでもとりわけすばらしいものとして、たった3字の「…

風の便りにつくと答えよ…「外は良寛」より

「外は良寛」/松岡正剛著より 備忘録的に、文章を書きうつしています。融通無碍でフラジャイルな寂しがりやの良寛さん。自由な風のような良寛さん。 「良寛はいつも人恋しかったのではないかと思うのです。かなりの淋しがり屋にほかならないのです。だいた…

「連音」する「連字」ーー「外は良寛」より

「外は良寛」松岡正剛著より/備忘録3 良寛の詩歌には「つつ」という言葉がたびたび出てきます。 霞立つ長き春日を子供らと 手まりつきつつ今日も暮らしつ 手毬をつきつつ今日も暮らしているというのは、単に手毬をついて今日も暮らしているということとちが…

外は良寛 / 松岡正剛著 備忘録

ひきつづき「外は良寛」松岡正剛著より… 世の中に交じらぬとにはあらねども 一人遊びぞわれはまされる 良寛の一人遊びは手毬とおはじきです。良寛には、特に手毬はぴったりだったかもしれません。手毬ははぐれていくリズムを持っているからです。 はぐれるリ…

外は良寛/松岡正剛著よりーーまたその中にあわ雪ぞ降る…

松岡正剛さんの「外は良寛」を読んだ時のメモ。2007年の日記より。 良寛さんの歌「うらをみせおもてをみせて散るもみじ」は生と死の表裏一体を思わせて、かつやさしく大好きな歌である。 あらためて良寛さんの書を見ていると、詩人の吉増剛造さんの文字を思…

非時と廃墟そして鏡…あの頃の記憶

廃墟に入って写真を撮ることにハマっていた時がある。 誰もいない、時間の止まった工場の中や、建物の中を探索するのは、 特殊な経験だった。 初めて乗る電車、全く知らない駅で降り、カメラを背負ってフェンスを越えて… 1人で行くのもちょっと危険な気がし…

人生のほんとう/池田晶子著 備忘録4

ひきつづき…『人生のほんとう』より 語りのレベル p172 私はさきほど、「善く生きる」といいましたが、同時に「どうでもいい」と言っています。これは矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、矛盾していません。あるいは矛盾しているといってもいいで…

人生のほんとう/池田晶子著 備忘録 3

引き続き・・・人生のほんとう/池田晶子著 より p150 ヘラクレイトスの断片を、もう一つ紹介しておきます。 この人は魂についての言葉をずいぶん残していて、それは非常にうまいなと思います。 ピュタゴラスよりも、私は面白く感じます。 「生きているあいだ…

人生のほんとう/池田晶子著 備忘録2

ひきつづき・・・ 『人生のほんとう』/池田晶子より 第5章「魂」より p144 私は輪廻転生の思想というのは 人間が自己の何であるかを考えていった場合に 必ず現れてくる根強い一つの型だと思っています。 自分の何であるか、この魂はなぜこうなのかというこ…

人生のほんとう/池田晶子著 備忘録 1

人生の本当/池田晶子 著より ヘラクレイトスの断片p136 ヘラクレイトスという私の非常に好きな哲学者、というより哲人なんですね、この人は面白い断片を残しています。「不死なるものが死すべきものであり、死すべきものが不死なるものである。かのものの死…

「砂漠はいつかお前にお返しをしてくれるだろう」

「心」とは何かということに、つねに興味があったので、宗教・心理学の本をいろいろと読みかじってきた。 サイコシンセシスは、イタリアのロベルト・アサジョーリが提唱したもので、友人の言葉を借りれば 「ユングが地下の帝王だとしたら、アサジョーリはベ…

シーシュポスの神話ー創造と苦しさと喜びと

カミユの「意思も一つの孤独である」という言葉に惹かれて、私も 「シーシュポスの神話」を読んでみた。ちなみに、その言葉に出会ったいくつかの記事の中のひとつが、下のブログだった。 カミュの言葉についての考察その他、本や映画をまたいで、テーマを探…

映画『13歳の夏に僕は生まれた』

”一度生まれた者は、もう逃げも隠れも出来ない” 日本ではあまり知られていないかもしれない。イタリアのマルコ・ジョルダーナ監督の『13歳の夏に僕は生まれた』。 同監督の2005年の作品『輝ける青春』では、ある家族を主軸にし、1960年代から現在までの時間…

カミュにとってのヴェイユ

孤独感とは何処からくるのだろう。 ネットをブラブラしていたら、カミュの言葉に出会った。 『意志もまた、一つの孤独である。』 カミュ カミュはよく知らない。中学生のころに、異邦人を読んだだけだ。 だが、シジフォスの神話についてのカミュの文章は読ん…

声のマ、全身詩人、吉増剛造展。いってきました。

声ノマ 全身詩人、吉増剛造展 2016.6.7 - 8.7(東京国立近代美術館) 行ってきました。 久しぶりの剛造ワールドに浸ってまいりました。 朗読パフォーマンスをする吉増剛造 Photo: Sayuri Okamoto 〈日記〉より 1961-64年 Photo: Kioku Keizo 《沖縄の炭坑夫さ…

ユング 魂の現実性(リアリティ)/ 河合俊雄著 備忘録

魂のリアリティ カラバッジョ作 ナルシス 1597-1599年ごろ ユング派の心理分析家の河合隼雄さんが大好きで、本も結構読んでいる。 人間の「心」というものの、深さ、複雑さ、重層的なあり方。 それらを知り尽くした隼雄さんの視線は、きれいごとだけでは済…

相互的な出会いについて…「モカシン靴のシンデレラ」

中沢新一著 「モカシン靴のシンデレラ」 ーーーーーーーーーーーーーーーーあらすじミクマク版シンデレラにおいて、「王子」は「ふつうの人には見えないひと」であった。 その人は偉大な狩人で、守護神は霊界の最高者であるヘラジカだった。この人のお世話は…

吉増剛造著「我が詩的自伝ー素手で焔をつかみとれ」

もう、遊ぶことのないフェニキアの舟のかわりにーーー茴香(ういきょう)の黄色い花が咲いていた わたしたちの魂は、その石段を静かに下るーーー下るほどに(空の道の)甘い香りがしていた。 吉増剛造 「死の舟」より 4月に出た「我が詩的自伝ー素手で焔をつ…

「愛さないの 愛せないの」

下書きに書きかけのままのブログがあったので、アップしておこうと思い。寺山修司さんの「愛さないの 愛せないの」。この本は高校時代、親友がくれた本。彼女とは今も時々会ってランチする仲だ。愛さないの 愛せないの、それは今の私にとっても考えさせられ…