lucciora’s diary 蛍日記

共感する魂を求めて

非時と廃墟そして鏡…あの頃の記憶

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廃墟に入って写真を撮ることにハマっていた時がある。
誰もいない、時間の止まった工場の中や、建物の中を探索するのは、
特殊な経験だった。
初めて乗る電車、全く知らない駅で降り、カメラを背負ってフェンスを越えて…
1人で行くのもちょっと危険な気がして、大抵は友人と入ったけれど…
夏でもヒンヤリと涼しい、埃っぽく湿った空気の匂い、
数年昔の時間のまま止まったカレンダー、雨の後の室内の水たまりの光、
それらの感覚は今も辿ることができる。


それとつながる記憶なのかはわからないけれど、
夕暮れ時、電車の中から見える家々の灯りと人影に、
形容しがたい気持ちを抱いていた時期があった。
無数の家々に、明るさや色合いも異なる灯りが灯っている。
電車からはかなりの距離があるのに、時としてとてもよく見えるような気がした。
部屋の中の人の声までも聞こえるような。(幻覚…)
でも、この家々の人たちに私が会うことは無いだろう。

そして、自分の家へと近づく頃、道すがら夕食の支度をしている音が聞こえ、
様々な匂いが空気の中に溶け込んでいる。
通りすがり、こぼれてくる部屋の灯り、話し声、
お皿のカチャリとぶつかる音…
けれど、そこでも自分は彼らと時を共有してはいない。

あの頃は、家に帰れば母がいた。私のために夕食も用意してくれていて。
あの、灯り、声、匂い。
あれは、今、どこかにあるのだろうか。(?)

「非時と廃墟そして鏡」とはジャズ評論家の間章(あいだあきら)さんの本のタイトル。
当時、間さんの文章にすっかり痺れていた。
非時と廃墟…

なんだろう、今、ここに属していない、場所…
今でもそれはある。無いものとして、ある。

 

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