ユング 魂の現実性(リアリティ)/ 河合俊雄著 備忘録
魂のリアリティ
カラバッジョ作 ナルシス 1597-1599年ごろ
ユングは自分の一生を自己実現の物語として捉えている。
しかし自己実現はよくそう思われているように、
何か未熟で未分化なものが成長や発展していって
完成したより高次のものになるのではない。
自己実現とは、文字通り自分自身になることであり、
何か違ったものになるのではなくて、
はじめからそうであるものになることなのである。
p112 自分がその中に生きている神話
フロイトと決別してからユングは方向喪失の状態になり、
ついには精神的危機に陥る。(中略)
このころ、ユングが自問自答していることが興味深い。
自分は過去に人々の神話を解明し、
人類が常にその中に生きていた神話としての英雄について本を書いた。
しかし、今日、人はどのような神話を生きているのか。
ユングは自分がキリスト教神話の中に生きているのかと自問してみる。
聖餐式での経験からしても、これは否である。
ユングは自問自答する。
「ではわれわれはもはや何らの神話を持たないのであろうか。」
「そうだ、明らかに我々は何らの神話ももっていない。」
「ではお前の神話は何かーーお前がその中に生きている神話は何なのか」
中略
神話とは自分が持っているものではなくて、それにいわば包まれているもので、
誰もがその現実性の中で暮らしているはずのものなのである。
過去においてはそれは神話が共同体によって担われているところに端的にあらわれていた。
そのような神話ははたして現代において可能なのだろうか。
…「今日の神話」ではないにしても、ギリシャ神話や日本神話が好きだ。
神話で語られるのは、根源的な欲動であったり、愛憎、別れ、戦いなどなど、
今でも人の心のなかにあるものは、それほど変わっていないような気がする。
しかし、それを分かち合う共同体は、もはや国や文化といった現実的な場所によってのみ
形成される共同体ではなく、個人同士の心の?魂の?共同体のような「場」に
なってきているような気もする。
というのも、「ほかの誰」もそれをしないし、できないのだから。
自分を生きるのは自分だけだ・・・。