映画「大きな家」を観た。
VIDEO
児童養護施設 の日常。子供たちの成長。
家の近くに児童養護施設 があって、通りかかる時に、中で遊んでいる子供たちの様子が垣間見える。
元気そうに、大きな声を出してボール遊びをしていたり、楽しそうに喋っていたり、時にはそこでバザーが開かれたりしている。
家族と一緒に住めないということについて、ふと思いを巡らすけれど、一概に親と暮らすことがベストとも言えないとも思う。
もし、親が子供を育てられないと思うなら、そして、追い詰められた親の状況が子どもを傷つける害のほうが大きいなら、むしろ別々に暮らした方が良いのかもしれない。
この映画に出てくる施設は、設備が整っているし、スタッフの人たちも、それぞれ精いっぱい子供たちの世話をし、温かい眼差しで包もうとしているように感じる。
それでも、この映画を観ていると、多くの子ども達が「家族」というものや、「血がつながっている」ということについて抱いている『特別』な思いがそこかしこに感じられて、考えさせられる。
この映画では、子ども達が家族と暮らせない事情などについては一切触れていない。
bighome-cinema.com
(以下、映画の内容に触れています。言葉も記憶で書いているので、若干、間違えているかもしれません)
17歳くらいの少年だったか…インタビュアーに報告するように、
「あ、でも誕生日にお母さんと出かけるから、その日にプレゼントを買ってもらうんだよね」と何度か話していたのに、
誕生日の当日になって「お母さん、来ないんだって」と。そう、伝えるときの表情。
泣いたり怒ったりなんかしないから、気持ちがかえって心に伝わってくる。
外にひとりで出かけて行く姿。
きっとがっかりさせられたことは、一回きりでは無かったはず。
それでも、やっぱり待っているんだろう。
どこかに不安定さを抱えている様子の18歳の少女。そろそろ一人立ちしなければいけない時期になり、
自分の何かを変えたいと、ネパールの児童養護施設 にボランティアとして参加する。
彼女は、ネパールの施設の同年齢の少女に興味をもち、彼女を対話へと誘う。
「淋しいとか、思わない?」と聞く日本の少女。彼女自身はどこかでずっと、寂しさを抱えて生きてきたのだろう・・。
ネパールの少女はこたえる。「淋しい・・?いいえ。ここには沢山子供たちがいて…家族みたいだもの」
日本の少女は少し驚いたように、そして、そうなんだ‥淋しくないんだ、と噛みしめるようにつぶやいていた。
その後、インタビューに答えて日本の彼女は言う。
「ここ(ネパールの施設)では、みんな目が合うとにこっとしてくれたり、いたるところでお互い助け合ってる姿が見える。
でも日本では、みんな下向いてスマホ とかいじっていて・・・、自分はそういうところで育っちゃたからなー」
いまの日本は、多くの人にとって孤独やストレスを感じやすい場所になっているんじゃないだろうか。
安心感とか、人のあたたかさとか、やさしさとか、心の余裕とか、得られにくい感覚。
昔はあった「人情」みたいなものは、今では厄介払いされている。
その方が楽かもしれないけれど、だれもが孤独と隣り合わせだ。
先進国のなかで、若い世代の死因の一位は自殺なのは日本のみだ、という情報もある。未来や、大人になった自分、それらに希望や、ワクワクするような期待感が持てないのは、なぜなんだろう。
逆境にも関わらず、映画の中の彼らは、私にとっては同情の対象などでは決してなかった。
途中、数日間、登山を続ける姿もあったが、時に強風に逆らって、険しい山道を登っていくその姿のように、
彼らは強さや逞しさをもっている。
命が輝いている。
むしろそう感じた。
この映画を観て、人間の一生について、自分の人生について、ぼんやりと考えている。
自分は自分の人生を、どんな風に生きていきたいのか、
どうやって人と関わっていきたいのか…改めて考えてみることも大切なように思う。
歳を重ねて、若い頃とは価値観や人生観も変化している自分を実感した。
この映画を観ることで、何ができるか、ということは、一人一人が出来る範囲で、なにか考えられたらいいけれど
今まであまり知られていなかった彼らの日常について、
まずは、より多くの人たちが知るということは、この社会にとって重要なことだと思う。
そう思って、久しぶりのブログを書いてみた。
ほんのちょっとしたことでもいいな。
嬉しいことが、少しずつ、少しずつでも、彼らに起こって欲しいと願う。
自分や、自分の周囲の人たちも同じだ。
これを読んでくれている人たちも。
みんな、それぞれの人生を一生懸命生きているから、
ちょっとした良いことや、幸せが、お互いに、ちょっとずつ積み重なってみんなに起こって、
そしてみんなが少しでも笑顔になることが多いといいな、と思う。