文通

「文通したい」と時々思うのだが、今日もふと思って、ネットで昨今の文通相手を探すシステムについて調べていた。文通村、とか文通便とか、フェイスブックやジモティーで探すなど、色々方法はあるみたいだ。
10代の頃は色んな人と文通していた。80年代、まだネットとかスマホなんてなかった時代だ。(あのころ駅には、待ち合わせで会えなかった時に伝言を書ける小さな黒板があった。あれが懐かしい。)
ロッキンオン
兄が読んでいたロッキンオンという洋楽メインの雑誌の後ろの方に、バンドメンバー募集や文通相手募集があって、手紙を書くことが好きだったことと、洋楽に詳しい友達が欲しくて、男性でも女性でも面白そうな人がいると手紙を書いた。高校に入ったころには、FOOL'S MATE というインディーズ系の音楽情報誌を読むようになった。
しばらく文通すると、趣味や気が合う相手だと、「じゃあ会おう」となって、近くに住んでいる人なら中野とか吉祥寺で会ったりしていた。・・・今から考えるとかなり危ない感じもするが、音楽好きな人にそんなに悪い人はいない、と当時は思っていたというか、面白い人との出会いも結構あったし、危ない目にあったこともなかった。そういう時代だったのかもしれないし運が良かっただけかもしれないが。とはいえ、そんなことをしていたクラスメートは学校にはいなかったのかも…。
高校時代はスタイルカウンシルやアズテックカメラ、インディーズ系の4ADレーベルのドゥルッティコラムやコクトートゥインズが好きで、おすすめのバンドやグループを教えあったり、カセットテープ(!)を送り合うのが楽しかった。
あの頃、毎晩のように聴いていたEverything but the girl のEDENというアルバムを、カセットテープに録音して送ってくれたのは、大阪に住んでいた、2学年上の男子高校生だった。すごくセンスのいい人で、カセットテープのインデックス(!)に外国のポストカード?みたいな写真を使っていて、今でもそのビジュアルを思い出すことができるくらい。彼は今頃どうしているだろう…。
大阪と東京で、文通をやり取りして、文芸部の彼の手紙はちょっと文学的な香りがして、ポストに手紙が届くのを心待ちにしていたものだ。
実は、同じ女子高に通う同級生とも、2,3年に渡ってずっと手紙のやり取りをしていた。同級生なのだから学校で話せばいいようなものだが、彼女と私は学校ではほとんど話さなかった。
私たちが文通していたことをかろうじて知っているのは私の親友一人くらいだったと思う。下駄箱に手紙を入れたり、手紙が入っていたりする、というトキメキを味わうことができたのは彼女という存在のおかげだ。
彼女もお姉さんの影響で、あらゆる音楽に詳しくて、学内でバンドも組んでいて、そのバンドではU2やDuran Duran など、当時のアメリカのミュージックシーンで流行っているような曲をカバーしていたっけ。背が高く、ボーイッシュなのに不思議な色気があり、とても綺麗な顔をしていて、映画のオーディションを受けて最終審査まで残ったこともあったそうだ。今でも、とても才能のある人だ。
彼女の好きだった”The Cure"
お笑いにも詳しくて、面白系な人でもあって、かっこよくて人気があった。そんなわけで、いつも数人に取り巻かれている彼女に、私は学校では近づくことができなかったのだが、お互いに美大を目指していたので美大予備校で一緒になって、予備校では少し話すことができるようになり、学校では手紙のやりとりをする・・・ということになった。こちらが書けば、結構まめにイラスト入りの長文返事をくれたりする人だった。
当時はやっていたマンガや映画、音楽、アートシーンのこと、将来のこと、行きたい大学のこと、好きな人のことから(彼女も好きな女子がいたのだが・・)哲学や文学的な話もしたりした。こう思うと(すごく暗い反面もあったけど)楽しい青春もあった。
文通を好む人は、内向的な部分が少なからずある人なのかもしれない。彼女も、社交性は十分あったけれども、内心、あまり人には話さないような気持ちを抱えていたりして、手紙ではそうした気持ちがさらっと書かれていたりした。
大学を出て海外に留学した時は、母ともよく手紙のやり取りをしたものだ。
しかし帰国してから、30代は自分史上、混迷を極めていた時代で、母の死や、遅めの結婚と高齢出産からの子育て、父の死を経て、年齢を重ねた自分は、ずいぶん遠いところに来てしまったように思う。
さらに夫という人が「内面」にまったく興味の無い人だったということに、結婚後に気が付いて、ずっと違和感を感じてきたけれども、違うタイプの人間だったんだなと最近では腑に落ちた。
あの頃の自分は遠くにいる。今の自分は、それはそれでまぁ良し、とも思っている。
とはいえ、あの頃のように、誰かと手紙でやりとりをするような熱情みたいなものがもう無いようなさみしい気もちょっとした。
でも、もしあったら楽しいのになと思った。
紙の手触りとか大好きだし、文字から伝わってくる相手の心情とか情景を何度も読み返して思い浮かべるのはたのしいことだったし。
紙にじっくりとしたためて伝えたいような大事なことがもう無くなってしまったのだろうか?
自分に興味を持ってくれる人なんてもうどこにもいないよなーと感じているのだろうか?
自分に問いかけた夕暮れのひとときであった。