あなたのブログを読んでいました。
それで、
ーあ、この言葉はどこで聞いたんだっけ、と思ったんですよね。
いつか、誰かが言ってくれたなぁと。
そして思い出しました。
「ほんの少しだけね、あなたの心のドアを開いておきましたよ。
あまり大きく広げると、辛いかもしれないから、ほんのちょっとだけ、ね。
そこから入ってくる新しいものを、何か感じられるといいね。」
と言ってくれたなぁと。
あの頃、多分しんどかったんですよね。それで体がこわばって、背中とかいつもバリバリに固まっていて、息が詰まってくるしい…
そういう時に、行く場所があのころあったなって。
その場所は夕方になると、柔らかい灯りがともってる、沈香とか白檀のお香の香りがして、静かな東洋的な音楽が流れている、リラックスできる場所でした。
週に何度か気功のクラスがあって、ふだんは気功治療をやっている場所だったんですけども。…私は東洋思想とか興味もあって、ヨガも何度か試したことはあるんですが、気功も面白いと思ったんです。でも長続きしないんですけども…。
そこの気功の先生は、ちょっとお坊さんみたいに見えて…作務衣を着て、髪の毛を短く剃っていたから、そう見えたのかな。気功の治療を、時々受けていました。
勿論、気、みたいなものも感じますし、少し離れたところから、あったかいエネルギーみたいなものも感じるんです。そういうのに敏感な人に言わせれば、かなり力がある先生だって、言ってましたよ。
それなのに私は頭でっかちの人なので、気、よりも実際に押してもらったりするのが実は好きでしたけども…
今振り返ると、ほんとのところでは、その先生に何かを相談した時の「助言」みたいな言葉を聞くのが結構好きで、もしかしたら話がしたくて行っていたのかもしれません。
ある時、何の話からだったのか、ふと言ったんですよね。
…私ね、すごく疑い深いっていうのかなー。うちの母なんて、人の言うことをそのまま真に受けて信じちゃうのに。
相手のことを、疑ってるというのとは違ってて。…でも何となく、人は変わるもんだと思ってて、気持ちや考えも変わるって。人が「変わらない」と言ったりしても、いつか変わるかもしれないし、だけど自分はそれで構わない、とか思ってるんですよね。
でも、信じても良いんですよね。その人の言葉を…とりあえず。
すると、その先生が言ったんです。
…なんとなくね、ビジョンみたいなのが見えたんです。
まだ産まれたばかりの赤ちゃんだと思うんだけど、お母さんが貧しかったのか、病気だったのかな、置き去りにされてしまったみたい。
それで、ずっと泣いているんだけど、誰も来てくれなくて。…寒いのか暑いのか、どんどん弱ってしまって…っていう姿が見えたんです。
そんな事が、あなたの魂の歴史の中にあったのかもしれないし、あるいは心象風景かもしれないんだけど。
…その先生は普段そういうことは言わない人だったので、その時はちょっと驚いた。
ただそんな光景が浮かんだのかもしれない。前世か、私の心象風景なのか、たとえ話なのか。でも、それがなんであったのか、ということはそれ程大事ではなかった。
先生の話してくれたビジョンは、私にとても響くものがあったんです。
子供の頃から、決して開放的な子供ではなかったと思うし、
色々なことに敏感すぎて、いつもどこかで疲れていたんですよね。
家族の軋轢のなかで、誰も自分の話を聞いてくれないような気がしてたんです。
… もっと言えば、自分が大切だと自分でも思えなかったんです。
何かを信じて、それを失って傷つくよりは、初めから失われるものとして、すべてを見ようとしていたのかもしれない。
だから、棄てられる赤ちゃん、寒さに凍えて、暑さで息ができない、それは私に思えました。本当にその通りだなって。それで暫く、泣いていました。
その通りですよね、って。
だから、帰りぎわ、先生が言ってくれた言葉を思いだします。
「ほんの少しだけね、あなたの心のドアを開いておきましたよ。あまり大きく広げると、辛いかもしれないから、ほんのちょっとだけ、ね。そこから入ってくる新しいものを、何か感じられるといいね。」と。
そのとき心は開いたのか、開いてなかったのか、今は閉じてしまったのか、ひらいているのか?
わからないけれど、心を少しだけ、ひらくっていうことは、心の目では見えましたよ。
微かな風がすっと通るのを、心の肌で感じましたよ。
そんな事を思いだしました。あなたのブログの言葉から…