lucciora’s diary 蛍日記

共感する魂を求めて

吉増剛造著「我が詩的自伝ー素手で焔をつかみとれ」

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もう、遊ぶことのないフェニキアの舟のかわりに
ーーー茴香(ういきょう)の黄色い花が咲いていた

わたしたちの魂は、その石段を静かに下る
ーーー下るほどに(空の道の)甘い香りがしていた。

吉増剛造 「死の舟」より


4月に出た「我が詩的自伝ー素手で焔をつかみとれ」が手元に届き、
ぱらぱらと、先へ先へと気が走り、ページをめくる。

 

吉増さんの若い頃の話や、作家やアーティストとの交友関係、女性観など、
かなり本音で流れるように語ってくれていて、ファンとしては相当面白い。
それにしても、この帯の写真がすてきだ。
吉増先生はやっぱり顔が良いなー・・・。表はアラーキーの写した若い頃の顔、
そして、裏は今の顔。77歳になられたんだ。。。ある意味、この顔をみているだけで、
作家の生き様を十分に感じることはできると思う。

 

詩人というのは、仕事ではなく、生き方、存在の仕方そのものなのだ。
そう気づいたは、詩人の吉増剛造さんを見たときだったと思う。
佇まい、歩き方、立ち止まり方、視線、話しかた、すべてが「詩人」吉増剛造だった。
どこをスパッと切っても、吉増剛造は「詩人」吉増剛造でしかありえない。

 

「ほんもの」の表現者はすくない。と思う。
ほとんどのものは、なにかエッセンスを薄めて混ぜ合わせたもののように感じる。
個性があっても、「ほんもの」ではないような気がする。
もちろん、それはそれで良いのかもしれない。

 

詩人の言葉や表現は詩人の存在そのものと一体化してたがわない。
表面だけではなく、存在の奥の奥のほうまで。そういうことなのだろうか。
その奥の奥は、どこへつながっているのかを、垣間見せてくれる存在。
それが表現者なのだと思う。

 

このような、もしかして最後の詩人と私が思うその人と
同じ時代に生きていて、会うこともできる自分は、本当にラッキーだと思う。

 

「愛さないの 愛せないの」



下書きに書きかけのままのブログがあったので、アップしておこうと思い。

寺山修司さんの「愛さないの 愛せないの」。

この本は高校時代、親友がくれた本。彼女とは今も時々会ってランチする仲だ。

愛さないの 愛せないの、それは今の私にとっても考えさせられる問いかけだ。


~~~~~

愛の大工―心の修理をします


台風が吹くと 垣根がこわれたり
大雨が降ると 屋根がもったり するように


愛もときどき 破損したり 穴があいたりします
そんなとき 専門の大工さんが必要です


少年時代
僕は夢のなかで
天の川の堤防が決壊して
星が空じゅうにあふれ出そうとするのを修理しにゆきました


大人になった今
愛の修理を引き受ける大工になりたい
と思いながら

寺山修司

~~~~~


高校時代、吉祥寺のバウスシアターで、寺山修司の映画特集をひとりで観に行ったのを思い出す。

あのころ、私にとって吉祥寺はすごく知らない場所だった。携帯もナビもない時代、ぴあを片手に歩いたのだったか。

今わりと近い場所に住んでいるけど、バウスシアターはなくなってしまった。


あのころ、好きだったもの。

四谷シモンさんの人形、ジャン・コクトーマルセル・デュシャン澁澤龍彦さんの本、アンティークショップや古着屋さん。あと、フールズメイトというインディーズ系の音楽雑誌があって、発売日を楽しみにしてたっけ。

すごく暗かったけど、今思うとキラキラしていたね。