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lucciora’s diary

「詩人が詩を書くのは、自分と同じ言葉を話す人間を見つけるためだ。」ジャン・コクトー ーー言葉はどこまで「心」に近づけるのだろう。共感する魂を求めて、言葉の海へと漕ぎ出してみよう。 自分の心に響いてきた本、映画、表現など、備忘録的に書き留めています。どうぞよろしく。

カミュにとってのヴェイユ

孤独感とは何処からくるのだろう。

ネットをブラブラしていたら、カミュの言葉に出会った。

 

『意志もまた、一つの孤独である。』

カミュ

 

カミュはよく知らない。中学生のころに、異邦人を読んだだけだ。

だが、シジフォスの神話についてのカミュの文章は読んでみたいと思った。

この神話自体は以前から知っているけれど、カミュはあの時代、あの年齢で何を考えたのか。そして46歳の時に事故で亡くなってしまったのだけれど。もっと長く生きていれば、作家として、様々な展開があったのではないだろうか。

 

シモーヌ・ヴェイユを発見し、そして彼女の本を相次いでガリマール社から出版したのはカミュだったことを考えると、カミュという人も、ヴェイユ著作との出会いを通して、いづれ信仰に出会ったならば、全く違う世界観に辿り着いたかもしれない。

カミュは信仰を持たなかったが、人の生の不条理を見つめる中で、無意味を敢然と受け入れる姿勢を示そうとした。

けれど本当は、「意味/無意味」を超えた心のあり様をどこかに求めていたのではないだろうか。

シジフォスの神話は、まさにヴェイユの亡くなった1943年に出版された作品のようだが、無意味とも思われる労働を繰り返すことの中に、彼が心の奥底で感じていたのは、自分自身の信仰への問いかけではなかったのだろうか?

 

シモーヌ・ヴェイユの、自らを虚しくして、神をその真空に受け入れようとする信仰。そこにカミュは、自らの信仰の可能性をも見出したのではないだろうか。