小説「ポニーテール」を読みました。
「だいじょうぶ。おねえちゃん、強いから」
「でも・・・」
「ほんとよ。マキってね、ひとりぼっちに強いの。みんなと無理してベタベタくっつかなくても平気な子だから」
「・・・・・友達がいなくても平気なの?」
「いないんじゃなくて、まだ出会ってないだけ。それまではひとりぼっちなのはあたりまえでしょ?だったら、ひとりぼっちなのを寂しがることなんてないし、無理やり友達をつくることもないでしょ?あの子って、そういうふうにものごとを考える子なの」
「ちっちゃなころから?」
「うん、いまのフミちゃんよりも小さなころから、ずっとそう。」
不思議な気がした。自分の子供がひとりぼっちだったら親はふつう心配するはずなのに、お母さんの口ぶりは、それを応援しているみたいだった。(p74)
重松清さんの小説「ポニーテール」という作品を読みました。
重松清さんの小説「流星ワゴン」や「とんび」が好きで、また久しぶりに重松作品を読みたくなり、図書館で借りて読みました。
やっぱりとても好きな本でした。
この作品では、再婚同志の夫婦それぞれの連れ子の女の子2人が、はじめはお互いに関わり方がわからなくて、ギクシャクしてつらいのですが、さまざまなやりとりから、だんだんと心を近づけていく…とても繊細な少女の心の動きを描いた作品。
そして、まわりの登場人物の立場も、温かいまなざしで捉えられていて、どの人物にも何かしらの共感を感じられます。
人と人ってどうやって近しくなっていくんだろう。
どんな気持ちの動きがあったんだろう。
自分では気づいていないような、心のやりとりがあって、はじめて関わりって重なっていくんだよね…って、とても気づかされる作品でした。
年下の少女フミの亡くなったお母さんの視線も途中から絡み始め、この少女たちや家族の成長や、生そのものを死者の視線からとらえるシーンもあり、なんか泣きながら、あっというまに読んでしまいました。
そう、あの世からの視点でみれば、ねえ、生きていることは美しいことなのだと、
苦行を尽くした釈迦が、亡くなるときに「この世は美しい」といったと聞きますが・・・。
そうですね、この世の苦しみも悲しみも、生きているということの証なのですね。
いつも楽しいわけじゃないけど、でも生きているってそういうことなんですね。
途中、電車で読んでいたら、涙が止まらなくなり、あせって読むのをやめました。
このお姉さんのほうは、間違いなく「内向型」の少女。気持ちがわかりすぎました。
…そう、本当の友だちが見つかるまでは、一人だって平気…。
本当のともだちってなんでしょうね。私もよく、親友ってどんな関係だろうと思います。数少ないけれど、本当に長いつきあいの数人の友だち。
本当に深くかかわりあいたい相手が友達。
特別じゃなくても、どんな少女も少年も、おじさんもおばさんも…、みんな輝いてる。
誰かを大切にしたいと思っているならば。きっと。
そう感じました。