lucciora’s diary 蛍日記

共感する魂を求めて

気質の北極と南極

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内向型人間の時代/スーザンケイン著 より

備忘録的に書き写しています。

 

私たちの人生は性別や人種だけでなく、性格によっても形づくられている。

そして、性格のもっとも重要な要素は、ある科学者が「気質の北極と南極」という言葉で表現した、内向・外向のスペクトルのどこに位置しているかである。この連続したスペクトルのどこに位置しているかが、友人や伴侶の選択や、会話の仕方や、意見の相違の解消方法や、愛情表現に、影響をもたらす。(p7)

 

人類の歴史が記されるようになってこのかた、詩人や哲学者は内向型と外向型について考えてきた。いずれの性格タイプも、聖書やギリシャ・ローマの医者の記述に登場し、この二つの性格タイプの歴史は有史以前にまで遡れるとする進化生物学者もいる。動物たちの世界にも「内向型」と「外向型」があるというのだ。(中略)男らしさと女らしさ、東と西、リベラルと保守といった相補的な組み合わせと同じように、この二つの性格タイプがなければ、人類は特別な存在にはならずに衰退しただろうと考えられているのだ。(P6)

 

多くの内向型がそれを自分自身にまで隠しているのには、それなりの理由がある。私たちは外向型の人間を理想とする価値観の中で暮らしている。つまり、社交的でつねに先頭に立ちスポットライトを浴びてこそ快適でいられる、そんな自己を持つことが理想だと、多くの人が信じているのだ。

 

内向性は、その同類である感受性の鋭さや、生真面目さ、内気といった性格とともに、現在では二流の性格特性とみなされ、残念な性格と病的な性格の中間にあると思われている。外向型を理想とする社会で暮らす内向型の人々は、男性優位世界の女性のようなもので、自分がどんな人間かを決める核となる性質ゆえに過小評価されてしまう。外向性はたしかに魅力的であるがゆえに、おしつけられた基準になってしまっていて、そうあるべきだ、と大半の人々が感じている。(p7~8)

 

だが、外向型の人間を理想とする考えを、そのまま鵜呑みにするのは大きな間違いだ。進化論からゴッホのひまわりの絵、そしてパソコンにいたるまで、偉大なアイデアや美術や発明の一部は、自分の内的世界に耳を傾け、そこに秘められた宝を見つけるすべを知っていた、物静かで試作的な人々によるものだ。内向型の人々がいなければ、つぎのようなものは、どれも存在しえなかった。

 

重力理論(サー・アイザック・ニュートン

相対性理論(アルベルト・アインシュタイン

詩「再臨」(W・B・イエイツ)

ショパンノクターン(フレデリック・ショパン

失われた時を求めてマルセル・プルースト

ピーターパン(J・M・バリー)

シンドラーのリスト」「E.T」「未知との遭遇」(スティーブン・スピルバーグ

グーグル(ラリー・ペイジ)

ハリー・ポッター)(J・K・ローリング

 

科学ジャーナリストのウィニフレッド・ギャラガーが書いているように、「刺激を受けた時に、急いで反応するのではなく、立ち止まって考えようとする性質が素晴らしいのは、それが古来ずっと知的、芸術的偉業と結びついてきたからである。アインシュタイン相対性理論もミルトンの『失楽園』も、パーティ好きな人間による産物ではない」のだ。(p9)