星野道夫さんの言葉。
―――
きっと、同じ春が、すべての者に同じ喜びを与えることはないのだろう。
なぜなら、よろこびの大きさとは、それぞれが越した冬にかかっているからだ。
冬をしっかり越さないかぎり、春をしっかり感じることはできないからだ。それは、
幸福と不幸のあり方にどこか似ている。
―――
結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。
そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、
過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。
頬を撫でる極北の風の感触、
夏のツンドラの甘い匂い、白夜の淡い光、
見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい・・・・・
ふと立ちどまり、少し気持ちを込めて、
五感の記憶の中に、そんな風景を残してゆきたい。
何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい。
あわただしい、人間の日々の営みと並行して、
もうひとつの時間が流れていることを、
いつも心のどこかで感じていたい。
(Michio's Norethern Dreams オーロラの彼方へ より)
―――
ほんとうに求めているものはなんなのだろう。
気が付けば、もうずっと考えているのに、
わかったような気がしては、また戻ってきている。
螺旋階段のように、少しずつ近づいているなら良いけれど…
そう、このあわただしい日々の営みのなかで、
感じなくてもよい(多分)孤独を感じたり、
…それなりにちゃんとやっているはずだけど。
さあ、どうなんだろう。
漠然としたさみしさが、たちのぼってくる。
それも自分のなかでは、自然なんだけれども…。
星野道夫さんの言葉は、そんな夜の一服の薬だ。
そう、こんな人が生きていたんだ。
なかなか現実には、出会えないけれど。
そう、でも、そんな優しいひとにも、
ちょっと思い起こせば、出会ったことがあるかもしれない。
空には満天の星、
風は甘い香りをふくみ、
木々の葉が揺れる音、
海の波の静かにうちよせる音が聞こえてくる。
自分が宇宙の生命のなかに包まれていることを
思い出させてくれるから。