lucciora’s diary 蛍日記

共感する魂を求めて

恋と信仰

 

良寛と貞心尼の歌のやりとりを美しいと思う。


恋なのか、信仰心なのか。
ただ、ひたすら、どこまでもついていきたいと思う「絶対」な存在。


親鸞法然への信もまた。
なかなか出逢えるものでもないけれど、
人生の導師とは、そんな気持ちを喚起する存在なのだろう。

 

アッシジに行ったとき、聖フランチェスコ教会を訪ねた。
そして聖フランチェスコの埋葬されている墓を見た。
キャンドルが灯され、とてもあたたかく、明るく感じる空間だった。
未だに多くの人がやってきて祈りを捧げていた。


そのあと、聖キアラ教会を訪ねた。
聖キアラの着ていた白い服が展示されていた。
キアラの服が思ったより大きかったのと、
絵に描かれたフランチェスコには小柄な印象を持っていたので、
キアラの方がフランチェスコよりも大柄だったのかな・・
などと当時の2人の姿について勝手な空想をふくらませていた。

 

教会やアッシジの佇まいは、かつて彼らが生きていた気配を、数百年後の今も感じさせるような、ポテンシャルに満ちていた。
彼らが生きていたことは、その時の私にとって何かとても身近なことに感じられた。

 

良寛と貞心尼、フランチェスコとキアラ、彼らのあいだにある、特別な
信頼と尊敬、憧れ、慕情。

 

神や仏が介在することによって、永遠化され、昇華される人間の「思い」。
そういうものも、ある。


常軌を逸したもの。
恋と信仰は、どこか似ている。

もちろん違う。
けれど、どちらも、本当のものならば大きな痕跡を残すだろう。
…心に。

 

幸いなるかな
幸いなるかな

 

困難な事も多いけれど、いつか思いたい。
人生は美しい。 そんな風に。