良寛の詩歌には「つつ」という言葉がたびたび出てきます。
霞立つ長き春日を子供らと
手まりつきつつ今日も暮らしつ
手毬をつきつつ今日も暮らしているというのは、単に手毬をついて今日も暮らしているということとちがいます。
手毬をつくことが「つつ」で強調されている。手毬をついていることが暮らしに大きくかぶさっているわけです。しかもそこにはかなり積極的なずれもある。
ずれて反復するものがある。
紀の国の高ぬのおくの古寺に
杉のしづくを聞きあかしつつ
(高ぬは高野山のこと)
山かげの草の庵はいとさむし
柴をたきつつ夜をあかしつ
雪の夜に寝ざめてきけば雁かねも
天つみ空をなづみつつ行く
浮雲のいづくを宿とさだめねば
風のまにまに日を送りつつ
良寛の最期に接した貞心尼の歌にも「つつ」が出ます。
「これぞこのほとけの道にあそびつつ つくや尽きせぬみのりなるらむ」
という歌ですが、これは何と貞心尼が良寛に最初に贈った歌です。
(中略)この歌に「つつ」が読まれたということは、いかに適確に貞心尼が良寛の本来をとらえていたかという証左ではないかと、僕には思えます。それくらい「つつ」は良寛っぽい。
良寛はよく知られるように、晩年に向かうにしたがって万葉集を偏愛しています。
それまでの良寛はあきらかに古今にも新古今にも惹かれている。
良寛の語感や言葉のリズムはまさに万葉的です。が、もっといえば万葉以前の、良寛が読んだか読まないかはわかりませんが、「古事記」や「祝詞」、あるいは古代歌謡のようなものも感じます。僕はそこに日本の「つつ」のルーツをとらえます。
僕がふと思うのは、日本の神様の名前です。たとえばオオヤマトトビモモソヒメ、ヒコホホデミノミコト、ホトタタライスズヒメ、タツツヒメ、ホノニニギノミコトといった神名には同じ音の連続があります。(略)この同音連鎖の響きに何かの「言霊の力」をこめるやりかたがあらわれているように思うのです。・・・この連打感というのは、まさに手毬のようなずれあいつつ響きあう差分的リズムです。
こうした「つつ」は線のちょっとした震えとか手の微細なゆれとか、ものの置きかたの動きとか、そういうところにも見え隠れしています。
そもそも良寛が詩歌を読むことを選んだことが、音やリズムに関心を持っていた証拠です。・・・
そこには禅のもっている独自のリズム感を文芸にもちこみたいという意図もあったかもしれません。
・・・どこかアタマの隅っこでは、何か格別の語感のリズムを求めていた。僕はそれを、とくに「連音」に感じていたのだと想像したかったわけでした。これは良寛が好んだ「一二三」とか「いろは」といった序数趣味にも関係してきます。
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良寛という存在のやさしさ。
松岡正剛さんの捉え方は勿論面白いけれど、私はまた何か違う印象も受けた。
良寛さんの立居振舞のどこかに空性を感じる。
〜しつつ、〜〜。
という、何かひとつだけに集中した意識ではなく、様々なものの気配、それらすべてを同時に、感じているような。
ここという場所を、絶対としてとらえない、意識は色々な場所に飛び、風になり、音になり、手毬になり、空になり…そんな風なとらわれなさを私は感じた。
風のような人だなぁと。