lucciora’s diary

「詩人が詩を書くのは、自分と同じ言葉を話す人間を見つけるためだ。」ジャン・コクトー ーー言葉はどこまで「心」に近づけるのだろう。共感する魂を求めて、言葉の海へと漕ぎ出してみよう。 自分の心に響いてきた本、映画、表現など、備忘録的に書き留めています。どうぞよろしく。

「砂漠はいつかお前にお返しをしてくれるだろう」

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「心」とは何かということに、つねに興味があったので、宗教・心理学の本をいろいろと読みかじってきた。

サイコシンセシスは、イタリアのロベルト・アサジョーリが提唱したもので、
友人の言葉を借りれば

ユングが地下の帝王だとしたら、アサジョーリはベランダ的だね。わりと楽しい気分になれる」と勧めてくれたことがあった。
そんなことで、日本でも何人かのプロセスワーカーのワークショップに参加したこともあった。
アーノルドミンデルなどの「プロセス志向心理学」なども読む分には面白かった。

ピエロフェルッチは「内なる可能性」という本を読んで結構良いなと思ったいたところ、イタリアで講演会をやっているのを偶然情報誌で見つけて参加した。
その時彼の話した「小話」が面白かった。
ほぼ忘れかけていたのだけど、思い立ってノートを探していたら見つかったので
記しておきたい。

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昔、インドの砂漠に近い町で商いをしている若者がいた。
ある時、砂漠の向こう側にある町との取引があった。
その町に行くには二つの道があって、一つは砂漠を突っ切って向こうの街へと抜ける方法。
それは急いでいるときに通ることのある道だが、体力をうばう日差しと熱風が襲ってくる危険な道だった。
もう一つの道は、山際を通っていく道であった。だが、その道はあまりにも時間がかかりすぎた。
そこで若者は、彼の仕事の成功のために、砂漠を突っ切る道を選んだ。

暑さの中、砂漠を進み続けて道半ばに差し掛かった時、砂漠の向こうのほうに
一人の老人が倒れているのを彼は見つけた。

近づいていくと、その老人は「あ、おまえだったのか?」と驚いたように言った。
若者は、その老人のことを知らなかったので、なぜこの老人が自分を知っているのか不思議に思った。
老人は砂漠で水をこぼしてしまい、のどの渇きで今にも死にそうに弱っていた。
彼はしばらく悩んでいた。この老人に今水を与えてしまったら、自分は旅を続けることはできない。
仕事の取引も失うことになる。
しかし結局、彼はしばらく考えた末に老人に水を飲ませてやった。
そのとき老人は言った。
「砂漠はいつかお前にお返しをしてくれるだろう」

大きな取引を逃した若者はそのまま、大した成功もなく、やがて結婚し平凡だが平和な人生を送った。
彼はその後どんな取引の時も、決して砂漠を横切らず、山際の道を進むことを選んだ。

ある時、山際を歩き商いの旅を続けているとき、彼の息子が重い病に倒れたことを人づてに聞いた。
このまま山際の道を歩いて帰ったら、間に合わないかもしれない。
彼は決心してあの時以来、決して通ることのなかった砂漠の道を横切り始めた。

彼はもう若くはなかった。そして不運なことに彼は持ってきた水をこぼしてしまった。
力尽きて砂漠に倒れた彼の目に、向こうの方からやってくる人影が見えた。
ているものや、持ち物をみて彼は驚いた。なんとそれは若い日の彼自身だったのだ。
若者がやってきて、彼を見つける。
彼は知っていた。彼は若者に「お前だったのか」と言い、そして伝えることを。
「砂漠はいつかお前にお返しをしてくれるだろう」と。

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この話を聞いたとき、鳥肌が立つ思いがした。
ピエロ・フェルッチの話の仕方もうまかったのかもしれないが、何か人生というものの不可思議な仕組みを、教えられた気がした。
描いた夢みたいなものを、どこかで捨てなくてはいけない瞬間がある。
けれど捨てたものは、別の場所で別の何かを得るきっかけになっていることがよくある。

ピエロ・フェルッチは講演を次のように締めくくった。

「人は誰でも自分の中に
芽を出すべき種子をもっている。
ただ大切なのは、それに注意力をむけることだ。
すぐにはっきりとわからないサインでも、心の中で
何度も思い出してみること。
それらは、夢や共時性の中にあらわれてくる。」

 

終わったと思ったことも、終わっていない場合がある。

何かべつのできごとの契機であったり、縁起を含んでいるのだ。