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lucciora’s diary

「詩人が詩を書くのは、自分と同じ言葉を話す人間を見つけるためだ。」ジャン・コクトー ーー言葉はどこまで「心」に近づけるのだろう。共感する魂を求めて、言葉の海へと漕ぎ出してみよう。 自分の心に響いてきた本、映画、表現など、備忘録的に書き留めています。どうぞよろしく。

ユング 魂の現実性(リアリティ)/ 河合俊雄著 備忘録

魂のリアリティ

 

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カラバッジョ作 ナルシス 1597-1599年ごろ

 
ユング派の心理分析家の河合隼雄さんが大好きで、本も結構読んでいる。
人間の「心」というものの、深さ、複雑さ、重層的なあり方。
それらを知り尽くした隼雄さんの視線は、きれいごとだけでは済まない人生の様々な局面や困難について、どこか『母性的』な包容力を感じて、読んだ後包まれるような気持ちになる。
 
今回初めて、息子の河合俊雄さんの本を読んでみた。
息子の俊雄さんには、どちらかというと、『父性』を感じた。
物事を論理的に理解し、道を示そうとするような透徹した理性。
 
ユング心理学のアプローチはずっと好きで、著作も興味深く読んできた。ある時期は私自身も夢分析を受けていたことがある。
 
ユング心理学夢分析は、カウンセリングを受けたからといって、すぐさま自分が生きていく上で抱えている困難が、解かれるわけではない。
むしろ、時には心の深い底に、引き込まれてしまうこともあるだろう。
 
現実に即したアプローチという点では、今人気のアドラーの方が、効果は出やすいかもしれない。
 
しかし、自分自身の魂や精神について、その本質的な部分を知りたいと思うなら、ユング的なアプローチは、非常に豊かで示唆に富んだ世界を見せてくれるのではないだろうか。しかし、それはカウンセラーの力量や、クライアントとの相性にも左右されるもので、しばしば危険を伴うものでもあるとは思う。
 
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p6
ユングは自分の一生を自己実現の物語として捉えている。
しかし自己実現はよくそう思われているように、
何か未熟で未分化なものが成長や発展していって
完成したより高次のものになるのではない。
自己実現とは、文字通り自分自身になることであり、
何か違ったものになるのではなくて、
はじめからそうであるものになることなのである。

 

p112 自分がその中に生きている神話

フロイトと決別してからユングは方向喪失の状態になり、
ついには精神的危機に陥る。(中略)

このころ、ユングが自問自答していることが興味深い。
自分は過去に人々の神話を解明し、
人類が常にその中に生きていた神話としての英雄について本を書いた。

しかし、今日、人はどのような神話を生きているのか。
ユングは自分がキリスト教神話の中に生きているのかと自問してみる。
聖餐式での経験からしても、これは否である。

ユングは自問自答する。
「ではわれわれはもはや何らの神話を持たないのであろうか。」
「そうだ、明らかに我々は何らの神話ももっていない。」
「ではお前の神話は何かーーお前がその中に生きている神話は何なのか」
中略

神話とは自分が持っているものではなくて、それにいわば包まれているもので、
誰もがその現実性の中で暮らしているはずのものなのである。
過去においてはそれは神話が共同体によって担われているところに端的にあらわれていた。
そのような神話ははたして現代において可能なのだろうか。

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…「今日の神話」ではないにしても、ギリシャ神話や日本神話が好きだ。
神話で語られるのは、根源的な欲動であったり、愛憎、別れ、戦いなどなど、
今でも人の心のなかにあるものは、それほど変わっていないような気がする。

しかし、それを分かち合う共同体は、もはや国や文化といった現実的な場所によってのみ
形成される共同体ではなく、個人同士の心の?魂の?共同体のような「場」に
なってきているような気もする。

「 はじめからそうであるものになること。」…
人には、後天的に獲得された個性ではなく、生まれながらにして
備わっている個性、天性のものがあるのではないだろうか。
親や育った環境とは関係づけて考えにくい、
魂の根底に流れているその人だけに託されたテーマのようなものが。
それが、ここでいう「はじめからそうであるものになること」なのではないだろうか。
河合隼雄さんは、本の中で時折書いていらっしゃった。
皆、「自分自身の物語」を探しているのだと。
神話ではなくても、ちいさな物語でもよい。
「私」とは何者なのか。
・・・物語ること。自分の生について、自分なりに物語ること。
「意味」はなくてもよいのかもしれない。
というのも、「ほかの誰」もそれをしないし、できないのだから。
自分を生きるのは自分だけだ・・・。
それは、ときにさみしいけれど。