lucciora’s diary 蛍日記

共感する魂を求めて

人生のほんとう/池田晶子著 備忘録 1

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人生の本当/池田晶子 著より

ヘラクレイトスの断片p136

ヘラクレイトスという私の非常に好きな哲学者、というより哲人なんですね、この人は面白い断片を残しています。
「不死なるものが死すべきものであり、死すべきものが不死なるものである。
かのものの死をこのものが生き、かのものの生をこのものが死している」。
これは非常に正確なアニミズム的世界観ですね。何が生きて何が死んでいるのかは
よく考えると言えなくなる。

もう一つ、同じヘラクレイトスで、
「魂の際限に、君はどこまで行っても行き着くことはできないだろう。
それほど深いロゴスを魂はもっている」というのもあります。
これは自己の底抜けイコール存在そのもの、存在の底抜けと同じことです。
この場合の「魂」は、つまり「存在」になっちゃってますね。
自分自身が何であるかということを追いかけていくと、こうなってしまう。

・・・・・・・・・・・・・・
ヘラクレイトスの言葉、美しい。
このロゴスっていうのは、
今日的なロジックとはかけ離れたものなのだろうな・・・

池田晶子さんの、2004~2005年の西武池袋コミュニティ・カレッジでの講義をまとめた本。
第五章 「魂」。
わたしにとって、とくに興味深い言葉がこの章にたくさん散りばめられている。
その始まりに、池田さんの話していることがおもしろかった。

「魂」について話すことは、池田さんにとって難しいと感じることで、
それについて話そうとすると、絶句してしまうというようなことで・・・。
なぜならそれは哲学というものの、向こう側に広がっていることがら、
たぶん本来心理学があつかう領域であるから。
池田さん本人は、これがこうだと言い切るのが好きで、だから
心理学という、曖昧で非常に多義的、これがこれだというふうに言いきれない事柄が、
そして普遍化しづらいということ自体が、ちょっとかなわないなと感じていたそうだ。
しかし年齢とともに、人生の味わい、としか言えないようなものが
非常に面白くなってきて、
同時に魂のことをかんがえたくなってきた、という。

池田さんのような思想家の方に自分を比べるべくもないが、
思考のレベルは問わないとして、傾向としてのみ
照らしあわせて考えてみると、私自身は哲学はどうも苦手で、
逆に心理学(といってもユング、アサジョーリ、ピエロ・フェルッチ、ミンデルあたり)
や、どこかに余白を残した表現、思想ーーそうしたものを好んで読んできたことに
思い当たる。
余白がないと、読んでいて時に息苦しい。
逆に、意味が多義的なほど、自分のなかの様々な層で対応する部分を感じ、自分としては
深い体験をできる場合もある。


多義的な提示、言葉やイメージを、心の中にほおりこんだ時に
ひろがってくる余韻とか、波紋の広がりのようなものを、眺めているのが好きだ。
答えを出さずに、つらつらと思いを辿る愉しみ。
焦点を一つにあわさずに、ちょっとずらしたところを見ているのも面白い。
やがて、まったく別の時に、ポーンと答のようなものを、受け取るときがある。
それを楽しみにしている。
無論、その答とは、自分にしか当てはまらないものかもしれない。
そうした自分の漠然としたものへの好みを、改めて認識している。

池田さんも引用されていたけれど、「月を指す指は月ではない」。

結局のところ、月はむしろ自分の心の中にしかないのではないかと
どこかで思う。
しかし、その心の果てもまた、自分から底ぬけていて、
月は「向こう側」へと映っているのではないだろうか。

とはいえ、もし月について誰かと話したくなるなら・・・
やはり人は月を指差すことが必要かもしれない。
自分の言葉とともに。

「砂漠はいつかお前にお返しをしてくれるだろう」

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「心」とは何かということに、つねに興味があったので、宗教・心理学の本をいろいろと読みかじってきた。

サイコシンセシスは、イタリアのロベルト・アサジョーリが提唱したもので、
友人の言葉を借りれば

ユングが地下の帝王だとしたら、アサジョーリはベランダ的だね。わりと楽しい気分になれる」と勧めてくれたことがあった。
そんなことで、日本でも何人かのプロセスワーカーのワークショップに参加したこともあった。
アーノルドミンデルなどの「プロセス志向心理学」なども読む分には面白かった。

ピエロフェルッチは「内なる可能性」という本を読んで結構良いなと思ったいたところ、イタリアで講演会をやっているのを偶然情報誌で見つけて参加した。
その時彼の話した「小話」が面白かった。
ほぼ忘れかけていたのだけど、思い立ってノートを探していたら見つかったので
記しておきたい。

・・・・・・・・・・・・・

昔、インドの砂漠に近い町で商いをしている若者がいた。
ある時、砂漠の向こう側にある町との取引があった。
その町に行くには二つの道があって、一つは砂漠を突っ切って向こうの街へと抜ける方法。
それは急いでいるときに通ることのある道だが、体力をうばう日差しと熱風が襲ってくる危険な道だった。
もう一つの道は、山際を通っていく道であった。だが、その道はあまりにも時間がかかりすぎた。
そこで若者は、彼の仕事の成功のために、砂漠を突っ切る道を選んだ。

暑さの中、砂漠を進み続けて道半ばに差し掛かった時、砂漠の向こうのほうに
一人の老人が倒れているのを彼は見つけた。

近づいていくと、その老人は「あ、おまえだったのか?」と驚いたように言った。
若者は、その老人のことを知らなかったので、なぜこの老人が自分を知っているのか不思議に思った。
老人は砂漠で水をこぼしてしまい、のどの渇きで今にも死にそうに弱っていた。
彼はしばらく悩んでいた。この老人に今水を与えてしまったら、自分は旅を続けることはできない。
仕事の取引も失うことになる。
しかし結局、彼はしばらく考えた末に老人に水を飲ませてやった。
そのとき老人は言った。
「砂漠はいつかお前にお返しをしてくれるだろう」

大きな取引を逃した若者はそのまま、大した成功もなく、やがて結婚し平凡だが平和な人生を送った。
彼はその後どんな取引の時も、決して砂漠を横切らず、山際の道を進むことを選んだ。

ある時、山際を歩き商いの旅を続けているとき、彼の息子が重い病に倒れたことを人づてに聞いた。
このまま山際の道を歩いて帰ったら、間に合わないかもしれない。
彼は決心してあの時以来、決して通ることのなかった砂漠の道を横切り始めた。

彼はもう若くはなかった。そして不運なことに彼は持ってきた水をこぼしてしまった。
力尽きて砂漠に倒れた彼の目に、向こうの方からやってくる人影が見えた。
ているものや、持ち物をみて彼は驚いた。なんとそれは若い日の彼自身だったのだ。
若者がやってきて、彼を見つける。
彼は知っていた。彼は若者に「お前だったのか」と言い、そして伝えることを。
「砂漠はいつかお前にお返しをしてくれるだろう」と。

・・・・・・・・・・・・・


この話を聞いたとき、鳥肌が立つ思いがした。
ピエロ・フェルッチの話の仕方もうまかったのかもしれないが、何か人生というものの不可思議な仕組みを、教えられた気がした。
描いた夢みたいなものを、どこかで捨てなくてはいけない瞬間がある。
けれど捨てたものは、別の場所で別の何かを得るきっかけになっていることがよくある。

ピエロ・フェルッチは講演を次のように締めくくった。

「人は誰でも自分の中に
芽を出すべき種子をもっている。
ただ大切なのは、それに注意力をむけることだ。
すぐにはっきりとわからないサインでも、心の中で
何度も思い出してみること。
それらは、夢や共時性の中にあらわれてくる。」

 

終わったと思ったことも、終わっていない場合がある。

何かべつのできごとの契機であったり、縁起を含んでいるのだ。

 

シーシュポスの神話ー創造と苦しさと喜びと

カミユの「意思も一つの孤独である」という言葉に惹かれて、
私も 「シーシュポスの神話」を読んでみた。
ちなみに、その言葉に出会ったいくつかの記事の中のひとつが、下のブログだった。

カミュの言葉についての考察その他、本や映画をまたいで、テーマを探っていく
書き方がとてもおもしろかった。

http://camus242.blog133.fc2.com/blog-entry-191.html

シーシュポスの神話。
感じるところはあるけれど、結局、
上のブログ以上のことは自分には書けそうにないと思った。

以前、テレビで、吉増剛造さんと羽生善治さんの対談があった。
その中で、詩を作ることにしても、勝つための将棋の手を考えることにしても、
終わりのない、苦しい作業、けれど喜びを見出す時もあるという2人の対話があった。
そこで、シーシュポスの神話について触れる場面があった。
2人の姿は、まさにシーシュポスに重なってみえた。

今の自分の生き方にしても、今までにしても、
自分はシーシュポス的な部分を持ち得てないのかもしれない。
相当悩み苦しんだし、今の自分にも苦しみはある。
でもシーシュポスのようにはなれないことこそが、苦しみだったのかもしれない。
あるいは、自分のケースはもっと別の神話、寓話であるような気がした。

そう。この神話は非常に男性的な神話なのかもしれない。

カミユの書く「不条理」について、時代性ももちろんあるだろうし、
カミユ本人の複雑かつ不条理な生い立ちや人生全体について、
今の日本で「普通」に生きている自分には、
汲むことのできない深い断絶があるのだろう。しかし、
それとは別に、自分は「不条理」な部分について、
べつの要素に視点を移しているような気がした。
それは、自分にとっての「信仰心」みたいなもの・・・かもしれない。

自分の運命や、不条理と思われる状況に絶望して、
しばらく人は空虚な生を生きる。
けれど、そこで、何か自分をおおもとから掴んでくれるものに出会えた場合、
人は「転回」することができる。大きな転回。
それはたった一つの言葉かもしれない。人でも、本でも、映画でも、かまわない、

なにか大きな自分を超えたものがあって、
その中で自分は何かしらの場や時間に置かれ、
流れているのだという漠然とした納得のようなもの。
あきらめ、ともいうのかもしれない。
明らかにみるという意味でのあきらめ。
何かに生かされているような気がする、「気がする」というくらいだけれど。

 

映画『13歳の夏に僕は生まれた』

”一度生まれた者は、もう逃げも隠れも出来ない”

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日本ではあまり知られていないかもしれない。イタリアのマルコ・ジョルダーナ監督の『13歳の夏に僕は生まれた』。

 

同監督の2005年の作品『輝ける青春』では、ある家族を主軸にし、1960年代から現在までの時間の軌跡を辿りながら、イタリアの美しい風景や時代の描写とともに、若さの、人生そのものの輝きが存分に描かれていた。

魅力的な様々な登場人物たちそれぞれの苦悩と喜び、出逢いや別れ、人生のテーマなど、6時間という長編にもかかわらず、私にとっては全く飽きる部分の無い充実した内容だった。

 

その監督の作品ということで、ずっと観たいと思っていたので、今回もそのイメージを初めは期待しながら観ていた。
しかし、この作品は、それとはまったく違うタイプの印象を残した。
この映画には答えは無いし、映画を見た後の心地よい充実感?のようなものもない。 しかし非常に考えさせられる、やはり良い映画だと思った。

 

移民の問題。島国日本では、ヨーロッパの国々に比べれば、まだ移民はそれほど大きな問題にはなっていない。

しかし、この映画で描かれるイタリアにしても、今回のイギリスのEU離脱にしても、大量にやってくる移民についてどう考えるか、というのは、国民一人一人にとって大きなテーマになってきているようだ。

 

(ストーリーについてネタバレあります)

13歳という多感な時期を生きる、都会の少年サンドロ。
感受性は豊かだけれど、恵まれすぎているがために、アグレッシブな部分がまったくない。そんなところを、教師や父親は揶揄する。
ところが、夏のバカンスに父とその友人と3人で出かけたクルージングの途中、サンドロは夜の海に一人落ちてしまい、いくら助けを求めても、船は遠ざかるばかりだった。

死を覚悟するような恐怖を味わったあと、サンドロは不法移民の乗る壊れかけた船に助け上げられる。

しかし、イタリア人だということがわかれば、身代金を要求される危険もある。

サンドロはとっさに、かつて移民が繰り返していた言葉を口にし、移民のふりをする。

 

前作『輝ける青春」の刺激的な会話にあふれた、テンポの良いきらめくような展開に比べると、

今回は移民たちの船での言葉少ないやりとり、父の経営する工場、学校、ブレーシャの街の地味な風景、サンドロの家と家族、移民の収容場所と限られた風景が映し出される。しかし、だからこそ、テーマが際立ってくるようだ。

 

 


移民の少年ラドゥが、船に引き上げられたばかりで寒さに震えているサンドロに、自分のセーターを与えるシーンがある。

イタリア語で はmettersi nei panni degli altri という言い方がある。
人の立場に立って考えてみる、という意味だが、直訳すれば、他人の来ている服を着てみる、ということになる。

ー自分が海に落ち死にそうな思いをして、移民たちと船に乗り、その服を着て自分も移民のふりをして、彼らと一緒に海の上を何日も漂うー

そのような体験がなければ、本当に移民の立場に寄り添うことなど、いわゆる先進国に住む私たちにとってはできないだろう。

完全に信じたわけでは無いが、過酷極まりない船の上で、サンドロと、ラドゥ、その妹アリーナとの交流が始まる。

やがて船がイタリアの港に入港し、サンドロは両親との再会を果たす。

だが、海に落ちる前のサンドロは一度死んでしまったのだ。もう同じ自分ではいられなかった。

新しく生まれたサンドロは、イタリアに入国したラドゥとアリーナに、自分も何かしたやりたいと強く思うようになる。

しかし、それは大変な葛藤と苦悩を生み出すことになる。

年齢制限のために、祖国に強制送還されそうなラドゥは、結果的にはサンドロやその両親の好意を裏切るようなことをしてしまう。友情の証を捨てたものの、やはり、サンドロの心には何かが引っかかっていた。

彼らは自分を裏切ったかもしれない、けれど、そうしなければ、彼らだって生きていけなかったのだ。それを、責めることができるのだろうか?

 

最後にアリーナが娼婦として働き始めた建物の内部の暗く重たい空気、彼女を探すサンドロの不安に満ちた表情が、この問題の深さと難しさをあらわしているように思えた。

一体、何ができるのか?どこまで関わっていけるのか?

 

最後のシーン、バスがロータリーを何度か行き過ぎるシーン。サンドロとアリーナがなすすべもなく座っている。

互いにかける言葉が思いつかないのだろう。

2人を映すカメラのアングルもほとんど動かず、まるで備え付けの防犯カメラのようにリアルに感じた。
すぐに答えの出ない問いかけだからこそ、観たものの 心に長い時間とどまるような映画だと思った。

 

カミュにとってのヴェイユ

孤独感とは何処からくるのだろう。

ネットをブラブラしていたら、カミュの言葉に出会った。

 

『意志もまた、一つの孤独である。』

カミュ

 

カミュはよく知らない。中学生のころに、異邦人を読んだだけだ。

だが、シジフォスの神話についてのカミュの文章は読んでみたいと思った。

この神話自体は以前から知っているけれど、カミュはあの時代、あの年齢で何を考えたのか。そして46歳の時に事故で亡くなってしまったのだけれど。もっと長く生きていれば、作家として、様々な展開があったのではないだろうか。

 

シモーヌ・ヴェイユを発見し、そして彼女の本を相次いでガリマール社から出版したのはカミュだったことを考えると、カミュという人も、ヴェイユ著作との出会いを通して、いづれ信仰に出会ったならば、全く違う世界観に辿り着いたかもしれない。

カミュは信仰を持たなかったが、人の生の不条理を見つめる中で、無意味を敢然と受け入れる姿勢を示そうとした。

けれど本当は、「意味/無意味」を超えた心のあり様をどこかに求めていたのではないだろうか。

シジフォスの神話は、まさにヴェイユの亡くなった1943年に出版された作品のようだが、無意味とも思われる労働を繰り返すことの中に、彼が心の奥底で感じていたのは、自分自身の信仰への問いかけではなかったのだろうか?

 

シモーヌ・ヴェイユの、自らを虚しくして、神をその真空に受け入れようとする信仰。そこにカミュは、自らの信仰の可能性をも見出したのではないだろうか。

 

声のマ、全身詩人、吉増剛造展。いってきました。

声ノマ 全身詩人、吉増剛造

2016.6.7 - 8.7(東京国立近代美術館

行ってきました。

久しぶりの剛造ワールドに浸ってまいりました。

朗読パフォーマンスをする吉増剛造 Photo: Sayuri Okamoto

 

20160621214704

〈日記〉より 1961-64年 Photo: Kioku Keizo

 

《沖縄の炭坑夫さん》 制作年不詳 Photo: Kioku Keizo Ⓒ Gozo Yoshimasu

 

文字、文字、文字、文字......
文字の氾濫。洪水。ですね。

 

詩の原稿や、二重露光の写真、銅板に文字を刻印した作品、 映像作品もあり、
久しぶりに吉増ワールドにどっぷり浸かってしまった。

日記がかなりたくさん展示してあるのですが、詩人としての

心の中の決意が固まって行く様がありありと感じられて、

それが私個人的にはとても良かったです。


20歳くらいの頃の日記とか、面白かったですね....
全部見れるわけではなく、日記一冊につき、あるページが開いた状態で展示してあり。

 

これらの選ばれた日の日記は、あとで振り返ってみれば、今の吉増さんへの道のりを示す、キッカケとなった日だったのかなと思える日記もありました。

 

21歳ごろの日記で、
俺はいったい何をして生きていくのか?などと悩み、
自分にできそうな仕事を羅列し(中に船乗り、というのもあり、丸で囲んであった。笑)

その下に詩人→職業ではない
と書いてあったのが、印象に残りました。

吉増剛造さんにこんな時代あったんだなーと、なんだかとても楽しくなりました。

 

その時には見えなかったことが、
今こちらから見れば、あぁ、あの時そんな事考えたよね、と思う。

 

ある日記には、
自分に向かって真正面から唾を吐くような、こき下ろすようなことを言ってくるような、

そういう相手こそ(表現は違ったかも)必要なのだというようなことも書いてあり、

そして、自分はそういうことに対して、
全く平然としていられるような人間にならなくてはいけない、というようなことが書いてあり…

 

すごい覚悟だなと。でも、そうなんだなと、非常に深いところで納得しました。


静かに充たされた時間でした。

ユング 魂の現実性(リアリティ)/ 河合俊雄著 備忘録

魂のリアリティ

 

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カラバッジョ作 ナルシス 1597-1599年ごろ

 
ユング派の心理分析家の河合隼雄さんが大好きで、本も結構読んでいる。
人間の「心」というものの、深さ、複雑さ、重層的なあり方。
それらを知り尽くした隼雄さんの視線は、きれいごとだけでは済まない人生の様々な局面や困難について、どこか『母性的』な包容力を感じて、読んだ後包まれるような気持ちになる。
 
今回初めて、息子の河合俊雄さんの本を読んでみた。
息子の俊雄さんには、どちらかというと、『父性』を感じた。
物事を論理的に理解し、道を示そうとするような透徹した理性。
 
ユング心理学のアプローチはずっと好きで、著作も興味深く読んできた。ある時期は私自身も夢分析を受けていたことがある。
 
ユング心理学夢分析は、カウンセリングを受けたからといって、すぐさま自分が生きていく上で抱えている困難が、解かれるわけではない。
むしろ、時には心の深い底に、引き込まれてしまうこともあるだろう。
 
現実に即したアプローチという点では、今人気のアドラーの方が、効果は出やすいかもしれない。
 
しかし、自分自身の魂や精神について、その本質的な部分を知りたいと思うなら、ユング的なアプローチは、非常に豊かで示唆に富んだ世界を見せてくれるのではないだろうか。しかし、それはカウンセラーの力量や、クライアントとの相性にも左右されるもので、しばしば危険を伴うものでもあるとは思う。
 
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p6
ユングは自分の一生を自己実現の物語として捉えている。
しかし自己実現はよくそう思われているように、
何か未熟で未分化なものが成長や発展していって
完成したより高次のものになるのではない。
自己実現とは、文字通り自分自身になることであり、
何か違ったものになるのではなくて、
はじめからそうであるものになることなのである。

 

p112 自分がその中に生きている神話

フロイトと決別してからユングは方向喪失の状態になり、
ついには精神的危機に陥る。(中略)

このころ、ユングが自問自答していることが興味深い。
自分は過去に人々の神話を解明し、
人類が常にその中に生きていた神話としての英雄について本を書いた。

しかし、今日、人はどのような神話を生きているのか。
ユングは自分がキリスト教神話の中に生きているのかと自問してみる。
聖餐式での経験からしても、これは否である。

ユングは自問自答する。
「ではわれわれはもはや何らの神話を持たないのであろうか。」
「そうだ、明らかに我々は何らの神話ももっていない。」
「ではお前の神話は何かーーお前がその中に生きている神話は何なのか」
中略

神話とは自分が持っているものではなくて、それにいわば包まれているもので、
誰もがその現実性の中で暮らしているはずのものなのである。
過去においてはそれは神話が共同体によって担われているところに端的にあらわれていた。
そのような神話ははたして現代において可能なのだろうか。

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…「今日の神話」ではないにしても、ギリシャ神話や日本神話が好きだ。
神話で語られるのは、根源的な欲動であったり、愛憎、別れ、戦いなどなど、
今でも人の心のなかにあるものは、それほど変わっていないような気がする。

しかし、それを分かち合う共同体は、もはや国や文化といった現実的な場所によってのみ
形成される共同体ではなく、個人同士の心の?魂の?共同体のような「場」に
なってきているような気もする。

「 はじめからそうであるものになること。」…
人には、後天的に獲得された個性ではなく、生まれながらにして
備わっている個性、天性のものがあるのではないだろうか。
親や育った環境とは関係づけて考えにくい、
魂の根底に流れているその人だけに託されたテーマのようなものが。
それが、ここでいう「はじめからそうであるものになること」なのではないだろうか。
河合隼雄さんは、本の中で時折書いていらっしゃった。
皆、「自分自身の物語」を探しているのだと。
神話ではなくても、ちいさな物語でもよい。
「私」とは何者なのか。
・・・物語ること。自分の生について、自分なりに物語ること。
「意味」はなくてもよいのかもしれない。
というのも、「ほかの誰」もそれをしないし、できないのだから。
自分を生きるのは自分だけだ・・・。
それは、ときにさみしいけれど。

 

相互的な出会いについて…「モカシン靴のシンデレラ」

 中沢新一著 「モカシン靴のシンデレラ」

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あらすじ
ミクマク版シンデレラにおいて、「王子」は「ふつうの人には見えないひと」であった。

その人は偉大な狩人で、守護神は霊界の最高者であるヘラジカだった。この人のお世話は、一人いる妹が全部取り仕切っていた。
見えない人は、夕方になると狩りから戻ってきて湖へと下りる。その姿を見ることができた者が結婚することができるといわれていた。そのために、たくさんの少女たちが、この人の姿を見ようと様々に試みたが、誰一人として成功したものはなかった。


「見えない人」は家に入りモカシン靴を脱ぐと、他の人にも見えるようになる。しかしそのときに姿を見ることができても、結婚することはできなかった。
この村の妻を亡くした男の3人娘の末娘は、体が小さく、病気がちで、姉たちにひどい扱いを受けている。一番上の姉は、焼けた炭で末娘の手や顔を焼いたので、末娘は体中が傷跡だらけだった。そこで村人たちから「ボロボロの肌の少女」とか「燃やされた肌の少女」と呼ばれていた。
姉たちは「見えない人」を見ることはもちろんできなかった。
そして、いつも裸足だった末娘が、父からもらったモカシン靴をはいてついに自分の運を試しに行く日がやってきた。
服もなかった少女は森に言って白樺の皮をはぎ、衣服のようにした。
ボロをまとった少女を姉たちは笑い、馬鹿にしたが少女はめげなかった。そして湖畔にやってきた。
「見えない人」の妹は聞く。「あの人が見えますか?」と。
少女には見えた。「見えない人」のそりをつなぐ虹の紐が。それは天の川だった。
その人の妹は、少女をうちに連れて帰って丁寧に体を洗ってやると、少女はみちがえるように美しくなった。髪に櫛を入れ梳ると髪はますます長くなっていった。
目は星のようで、この世界にこのようにきれいな少女はいないと思えるような美しさだった。
そしてついに少女は「見えない人」の妻となった。

ーーーーーーー

 

ふつう「私は知っている」というとき、
ひとは知っているのではなく、信じているのである。
生きること、それは信じることだ。
少なくともそれが、私の信じていることである。

マルセル・デュシャン

 

 ミクマク版シンデレラにおいて、「王子」は「ふつうの人には見えないひと」であった。

他の誰にも見えなかったその人を見ることができた少女に「見えない人」が言う。
「wajoolkoos(とうとう見つけたな)」と。

 

「見えない人」と出逢うことがなければ、少女はおそらく死ぬまで、

家の中で意地の悪い母や姉に、重い労働を強いられて暮らしたことだろう。


少女にとって「見えない人」を見ることには、自分の人生の「全て」がかかっていたかもしれない。
しかし「見えない人」もまた、少女がやってきて自分を見つけるだろうことを「知っていた」し、待ってもいたのだ。

このような出会いは、相互的な出会いなのである。

 

シンデレラ物語は地域によってさまざまなヴァリエーションが見られるようだが、

その物語の大きなモチーフである「靴」は、私にとってはユングの言う「ペルソナ」を思い起こさせる。
靴をはかなければ、ひとは家から出ることも、町ひいては社会に出ていくこともできない。
社会的生活を営む者は、誰しも「ペルソナ」をつける。
そうすることで、裸のままの心でふれあうことの複雑さや、深さから免れて、社会はスムースに機能しているのだ。

 

靴を与えられる前の少女は、外に出ることもできず、虐待され、家の中にすら自分の居場所を見つけることができない。居場所がないということは、自分自身の存在理由を失うことに等しいのではないだろうか。
そうした極めて孤独な状況の中でどのように人は自分を保つことができるのだろうか。

 

ーーあらかじめ絶望についての経験がなければ、
誰にしたところで

エクスタシーの状態を知ることはできないーーとは、E.M.シオランの言葉だが、「自分自身から抜け出てしまうほどの体験」、

絶望にしろ歓喜にしろ、そうした体験は純化の過程であって、人はそこで初めて彼岸(死)の世界に触れるのだろう。


こうした意識の変容状態において、ひとは時としてこの世界の真実のようなものを垣間見るのではないだろうか。

 

この物語の中の「見えない人」とは、実は「魂にとっての真実そのもの」だと考えることもできるのではないだろうか。

 

ここで、試みに錬金術的なアプローチをとって物語を見てみるのも面白いと思った。
「見えない人」と「少女」の結婚は、「太陽と月の結婚」ととらえることもできる。
少女が炭で焼かれたり、かまどのそばにいるのは、火による洗礼とも、黒化(ニグレド)の過程とも考えられる。少女は母性的な力(大地)の物質的な側面(意地悪な継母)にとらわれているプリママテリアであり、メルクリウスでもあり、輝く太陽こそ「金」である。

 

白樺の皮をまとった少女は白化(アルベド)の過程であり、そこでは、精神的な浄化が行われる。

 

そして湖に真っ赤な夕日が落ちる時、錬金術の最後の過程である赤化(ルベド)があり、

そこでは 神人合一、有限と無限の合一が行われる。


「見えない人」とは「すべての光(真実)」を集めた太陽であり、その光は虹のスペクトルとなって、そりをひき、彼は天体(天の川)を移行する。
日中はそのあまりの眩しさゆえに、彼を直視することのできる人はいない。
よって彼は「見えない人」と呼ばれるのである。
ただ夕暮れ時に、彼が湖に自身の熱を冷まし、休息するために降りてくるとき時のみ、
近づくものをその光と熱とで滅ぼさずに済むのだ。


少女が彼の妻となる女性だとしたら、彼女は月であり、だからこそ「見えない人」を見た少女は、
太陽の光によって、みるみるうちに輝きはじめ、美しく成長する。
聖なる空間においては、魂は露わなままで互いに喜びをもたらし、「見えない人」はもはや真の姿を覆うこともなく、花嫁のヴェールもやがて取り払われるだろう。

 

「とうとう見つけたな」・・・。
「心」が「真実」を求めるように、「真実」もまた、「心」が彼のもとへと赴くことを待ち、そしてそれを「知っているのだ」。そのことに気付いたならば、私たちの「心」を「真実」へとむかうことを阻むものは一体何であろうか。

 

 

吉増剛造著「我が詩的自伝ー素手で焔をつかみとれ」

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もう、遊ぶことのないフェニキアの舟のかわりに
ーーー茴香(ういきょう)の黄色い花が咲いていた

わたしたちの魂は、その石段を静かに下る
ーーー下るほどに(空の道の)甘い香りがしていた。

吉増剛造 「死の舟」より


4月に出た「我が詩的自伝ー素手で焔をつかみとれ」が手元に届き、
ぱらぱらと、先へ先へと気が走り、ページをめくる。

 

吉増さんの若い頃の話や、作家やアーティストとの交友関係、女性観など、
かなり本音で流れるように語ってくれていて、ファンとしては相当面白い。
それにしても、この帯の写真がすてきだ。
吉増先生はやっぱり顔が良いなー・・・。表はアラーキーの写した若い頃の顔、
そして、裏は今の顔。77歳になられたんだ。。。ある意味、この顔をみているだけで、
作家の生き様を十分に感じることはできると思う。

 

詩人というのは、仕事ではなく、生き方、存在の仕方そのものなのだ。
そう気づいたは、詩人の吉増剛造さんを見たときだったと思う。
佇まい、歩き方、立ち止まり方、視線、話しかた、すべてが「詩人」吉増剛造だった。
どこをスパッと切っても、吉増剛造は「詩人」吉増剛造でしかありえない。

 

「ほんもの」の表現者はすくない。と思う。
ほとんどのものは、なにかエッセンスを薄めて混ぜ合わせたもののように感じる。
個性があっても、「ほんもの」ではないような気がする。
もちろん、それはそれで良いのかもしれない。

 

詩人の言葉や表現は詩人の存在そのものと一体化してたがわない。
表面だけではなく、存在の奥の奥のほうまで。そういうことなのだろうか。
その奥の奥は、どこへつながっているのかを、垣間見せてくれる存在。
それが表現者なのだと思う。

 

このような、もしかして最後の詩人と私が思うその人と
同じ時代に生きていて、会うこともできる自分は、本当にラッキーだと思う。

 

「愛さないの 愛せないの」



下書きに書きかけのままのブログがあったので、アップしておこうと思い。

寺山修司さんの「愛さないの 愛せないの」。

この本は高校時代、親友がくれた本。彼女とは今も時々会ってランチする仲だ。

愛さないの 愛せないの、それは今の私にとっても考えさせられる問いかけだ。


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愛の大工―心の修理をします


台風が吹くと 垣根がこわれたり
大雨が降ると 屋根がもったり するように


愛もときどき 破損したり 穴があいたりします
そんなとき 専門の大工さんが必要です


少年時代
僕は夢のなかで
天の川の堤防が決壊して
星が空じゅうにあふれ出そうとするのを修理しにゆきました


大人になった今
愛の修理を引き受ける大工になりたい
と思いながら

寺山修司

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高校時代、吉祥寺のバウスシアターで、寺山修司の映画特集をひとりで観に行ったのを思い出す。

あのころ、私にとって吉祥寺はすごく知らない場所だった。携帯もナビもない時代、ぴあを片手に歩いたのだったか。

今わりと近い場所に住んでいるけど、バウスシアターはなくなってしまった。


あのころ、好きだったもの。

四谷シモンさんの人形、ジャン・コクトーマルセル・デュシャン澁澤龍彦さんの本、アンティークショップや古着屋さん。あと、フールズメイトというインディーズ系の音楽雑誌があって、発売日を楽しみにしてたっけ。

すごく暗かったけど、今思うとキラキラしていたね。